2016年3月1日火曜日

N.O.生活13 - 個人レッスン② Frankie Kelly

UNOに入学して、半年か1年くらい経った頃だったと思います。
ある授業の前、時間になってもまだ教室の鍵が開いてなくて(先生が遅れてくることは珍しいことではありません)、みんなで廊下に待っていた時です。
通りがかった年配女性が声をかけてきました。
初めて会います。
音楽学部の教授で、クラリネット奏者だと言います。
僕がクラリネットのケースを持っていたから話しかけてきたんだと思います。
自己紹介と、今度演奏聞かせて、みたいな言葉を交わして別れました。

彼女はFrankie Kellyといい、おそらく当時50歳くらい、UNO音楽学部の6〜7人いる教授のひとりでした。
ハリケーン後のUNOでは、クラシック学部は閉鎖され、ジャズ科と、音楽教育学部だけしかありませんでした。
当時フランキーは、主に音楽教育学部の生徒の伴奏や、クラシック音楽全般に関するアドバイザー的なポジションにいたようです。
クラリネットとピアノに関しては、個人レッスンもしていました。

それから、僕がトム・フィッシャーのレッスンに行ったり、音楽学部のオフィスに用事がある時に、フランキーの部屋の前を通り、話をするようになりました。
お互い楽器を持ち出して音を聞かせあったりして、アドバイスをもらって、そのうちに、きちんと個人レッスンを受けることになりました。
音楽学部にも話を通して、次の学期からジャズとクラシックの2つの個人レッスンを受けることになったんです。


フランキーは、素晴らしいクラリネット奏者でした。
シカゴで学び、UNOに来るまでは、長くメキシコのオーケストラで演奏していました。
何度かコンサートを聴きに行きましたが、間違いなく一流の演奏家です。
教えることにも情熱を持っていて、とても前向きで活動的な人でした。
まさかニューオリンズに来て、しかもジャズ科に入学したのに、こんな出会いがあるとは。

僕はそれまで独学でしたが、ジャズ・ポピュラー系のレッスンを単発で何度か受けてみたことはありました。
はっきり言って、それらはあまり役に立ったとは思えません。
「ジャズ」をやる、というのなら、その理論やイディオムを体系的に学んでゴールに導く、という道筋があるわけですが、僕は特定のジャンルや型を目指していたわけではない。
なので、このスケールを、このフレーズを、っていう風に語彙を増やしていくやり方が、実際の演奏に直結しなかったんですよ。

クラシックのレッスンをきちんと受けたのは初めてでした。
予想以上に体系的で、とても役に立ちましたね。
息の方向はこうで、舌の位置をこう変えると音がこうなる、というような、音に関する仕組みがものすごく具体的に整理・分析されていて、目から鱗のような気づきがたくさんありました。
フランキーも、僕がクラシック奏者ではないのを知っていたので、曲の解釈などではなく技術面にフォーカスして教えてくれました。
もしもですが、今後またレッスンを受けることがあれば、またクラシック奏者に習うでしょう。

彼女は人間としても魅力的でした。
と言っても、いわゆる「いい人」では全くありません。
かなり自己主張が強くクセのある人物で、音楽への情熱から、行き過ぎと思うような言動も多かった。
それで、よく他の教授と揉めたり、彼女のことを苦手な生徒もいました。
プライドも高く、ニューオリンズのミュージシャンのレベルの低さをいつも嘆いていました。
練習しないこと、なあなあで全てにルーズなこと。
教師としても、レッスンを受けている生徒が真剣でないことにずっと不満を持っていました。

僕は真面目にレッスンを受け練習もしていたので、とても気に入ってもらっていました。
個人レッスンはもちろん時間が決まっているのですが、それ以外にも何度も練習をみてもらったことがあります。
もちろん、お金なんか取りません。
僕のライブも見にきてくれたし、休みの日に食事にもいきました。
音楽以外のことも、たくさん話しました。

フランキーは、そのころ幸せだったとは言えません。
クラシックの演奏家として第一線でやってきたのが、故郷に戻り教職に就き、そこでのやり甲斐のなさにフラストレーションを溜めていたんです。
自分はトップレベルの演奏家なんだ、というプライドと、ニューオリンズでそうした一流レベルの演奏の機会がないことを、いつも僕に嘆いてた。
たまに他の州に演奏に行ったり、シカゴやNYから教え子がレッスンを受けに来たりするときには、目を輝かせていました。
若かった頃のシカゴ・シーンやメキシコでの思い出も、よく話してくれた。
僕でも名前を知っているようなクラシックの有名クラリネット奏者との交流や、恩師との恋の話や。
独身で、近くに住む母親の世話をしていたんですよね。
それがなければ、もしかしたらメキシコか、アメリカに戻ってもシカゴ辺りで演奏活動をしていたのかもしれません。


クラシックやジャズの人って、プロフィールに「◯◯に師事」って必ず書くじゃないですか。
僕はあれが大嫌いです。
書く意味がわからない。
音楽やるのに、「師事」って何?ていう思いがあるからです。
そんな僕にとって、フランキーだけは唯一、師と呼べる人です。
もし今後、プロフィールに「◯◯に師事」って書く必要があれば、彼女の名前を書くでしょう。


僕が4年生のときに、フランキーの母親が亡くなりました。
そして、彼女は次のキャリアへ進み、今はテキサスに移り演奏活動をしています。
彼女が次のステップへ移ったことが心から嬉しいです。
幸せを願う気持ちが自然に湧いてくる。
これが、師に対する気持ちなんでしょう。

全く予想外のことでしたが、ニューオリンズ大学に行って良かったと思える出会いでした。


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