ジャズ喫茶には行かない

家のネットはYmobileです。
先日Macのリカバリを試みたせいで、月の通信容量の上限を超えてしまい、速度制限がかかり全然ネットが繋がらない状態になってしまいました。
1ページ開くのに5〜10分かかる。
いくら待っても開けないページもあります。

なので、今日は外にネットをしに行きました。
Bill Ambergの革のバッグにMacbook入れてロードバイクに乗って、かっこいい俺。
近くにWiFi繋がるジャズ喫茶があるんです。
若いオーナーがやってて、「喫茶店」より「カフェ」って呼ぶのが似合うような店です。
会話厳禁!みたいな堅苦しさはありません。
音量は大きめだけど話もできるくらいだし、ジャズと関係なく普通にカフェとして利用してるお客さんも多い。

でももちろん、ジャズを聴きに来てる人もいます。
たいてい年配以上の男性で、一人でコーヒー飲みながら無言でいます。
今日も僕が行ったらそういうお客が二人いて、後からさらにもう一人来ました。
隣に座ってMac開いてると、見るともなく彼らの様子が目に入ってきます。
最初は、じっと聞き入ってる姿に好感を持ってたんです。 
腕組み、してたかな?
まあそういうイメージですよ。

でも、だんだん違和感を感じてきてしまって。
僕も、ネットやりながら音楽は耳に入ってきます。
そうすると、演奏の中で、おお!と思うようなカッコいい瞬間があるわけですよ。
思わずしばらくそっちに耳を奪われてしまったり。
ボーカルものや大編成のアレンジされたのは別として、ジャズなんて即興でやってる音楽だから、演奏にわりと常に起伏があるじゃないですか。
でも!みんな微動だにせずにいるんですよ!
どんな演奏が起こっても、表情すら変わらない。
別に揺れたり足鳴らしたりしなくてもいいけど、死んだように動かないのは、すごく不自然に感じたんです。

僕は、クラシックのコンサートでも、みんなが石のように固まってるのは不自然だと思ってしまいます。
それが、ジャズ、しかもすごいグルーヴィで白熱した演奏を、ぼんやり聞き流すんじゃなくてちゃんと聴いていて、それでピクリともしないなんて、どっか悪いんじゃないの?
本当に聴いてるのかな?
僕よりいっぱいジャズ聴いてるんだろうけど、頭の中はどうなってるのか。
記号的に分析することしかしてないんじゃないのか。
音の起伏やリズムみたいな、感情的・肉体的な要素を受容する神経に、深刻な欠損があるんじゃないの?
そういう病気なんじゃないの?

と、思ってしまうくらい、違和感を感じたんです。
いやホント変ですよ。
ジャズ喫茶ってほとんど行かないけど、全員がこうやってじーっと無言で聴いてる店もきっとあるわけでしょ?
なんか動いちゃいけない昔からの伝統的なルールでもあるのかな?
あんな身体のナチュラル反応に逆らった異常な聴き方で、楽しいのかな?
家でもああしてじっと聴いてるのかな?
ライブでもそうなのかな?

ネットで検索してみました。
そしたらやっぱり、ジャズ喫茶は日本独自の文化のようですね。
身体反応を禁じて音楽を聴くなんて、まるで修行ですよ。
その修行の果てに何か得られるならいいけど。
いや、もしかしたら僕の知らない音楽的悟りの境地があるのかもしれません。
なんてね。
あるわけないでしょ。

日本では、ライブでもみんなじーっと「静聴」してることが多いです。
アメリカに行ってからは、余計にそれを奇妙に感じるようになってしまいました。
海外のライブハウスで「静聴」なんてあり得ませんからね。
飲んで食って喋りながらだって、音楽聞けるよ?
じーっと集中しないと聞けないのなら、逆にリスナーとしてレベル低すぎでしょ。
もっと音楽聴くことに慣れた方がいいと思いますよ。


あ、でも安心してください。
僕だって、ライブハウスで周りがじーっとしてる時は、なるべく大人しくするように心がけてるんで。
違和感を飲み込みながら、ですけどね。

今日の店はいいけど、いわゆる「ジャズ喫茶」には、今後も行くことはないでしょう。
だって、変だから。

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