「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」を見て、考えた

「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」を見ました。
DVDで。


すごく面白かったし、考えさせられました。
表現・芸術・葛藤・他者との繋がりと自分の内面とか、そういうことを考えさせられる。
そもそも、そういうことを考えたことのない人は、この映画を見ても面白くないんじゃないかな。
芸術的な繊細な感性を持った人っていうのは少ないし(このことに関しては、僕はとっても悲観的です)、さすがにこの映画はぜんぜん誰にも勧めません。

ずっと音楽をやってきた中で、繊細な感性を持ちながらつぶれていった人を、何人も見てきました。
人は孤独です。
それを自覚して内面を見つめることは楽ではなくて。
他者と繋りたい。
でも裸になることは恐ろしいことで。
心をさらけ出す表現をすることは、とてつもない勇気と意思が必要です。
怖い。
そうして、逡巡し、葛藤し、上手くやれなくて、決断できず、自分を責めたり、心に何かが蓄積されていく。
そのうち、それが溢れてパンクしてしまう。
何人も見てきました。
悲しい。

この映画は、そんな繊細な心の動きを、丁寧に描いてる。
まあコーエン兄弟だし、普通にレベル高いですよ。
でも、そういう心の機微を自分で経験したことのない人は、果たしてこれ見てどう思うんだろう。
猫を置き去りにする際のためらいや、フロントガラスから見える夜の雪や、プロデューサーの前で歌うシーンや。女や医者や他の登場人物と話す時も主人公は寡黙だし、そこでの心の動きを見てる側として共感できなければ、映画の面白さは半減すると思うんです。

ストーリーの整合性を読み解いたり、登場人物の属性を整理したりすることは、意味がないです。
まさに、タイトル通り。
主人公ルーウィン・デイヴィスの、内面を見せる映画だと思います。
「ボブ・ディランが憧れた~」というコピーにつられて音楽映画だと思って見ると、肩透かしでしょう。
描かれるのは、ミュージシャンの人生、ではなくて、芸術家の内面ですから。


音楽って本来、心の内側の奥底で他者と一瞬で繋がることのできる、素晴らしい芸術形式です。
残念ながら、そういう感性を持ったミュージシャンはとてもとても少ないですが。
そして実際にそれができるミュージシャンは、さらに少ない。
そして、その少ない中で生き残って続けることのできる人は、もっと少ない。
素晴らしいミュージシャンが潰れていくのを近くで見るのは、本当に辛くて悲しくて、できればもう見たくない。

いろんなことを思い出して、いろんな気持ちが浮かんだ、映画でした。








~お知らせ~
12月7日、三鷹にある音楽バー、バイユーゲイトが火事に合いました。
隣のビルからの出火が燃え移ったもので、被害により営業停止、いまだ再開の目途は立っていません。
大好きなお店です。
音楽を全肯定で愛する、ピュアなお店です。
少しでも、僕のことが好きだったり、興味があったりするのであれば、是非、再開支援の寄付をお願いします。
1000円でも2000円でも、未来の飲み代と思って。
そして、再開した時には、バイユーゲイトで一緒に飲みましょう。
ライブでも、お店で最高の演奏をすることを、約束します。

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