N.O.生活 5 - ジャズ科の授業②

引き続き、授業の話です。

コンボというクラスがありました。
生徒達でバンドを組んで、教授がそれを指導する、というものです。
誰がどのバンドに入るかは、教授が決めます。

これはドキドキしました。
まわりはみんなジャズへの熱意にあふれた若者ばかり。
それに比べて、僕はモダン・ジャズなんて一度も演奏したことありませんからね。

フタを開けてみたら、僕が入ったのはモダン・ジャズではなく、なんと、ニューオリンズ・ジャズをやるバンドでした。


ちょうど僕と同期に入学したダレンというドラマーがいました。
彼はUNO(Univercity of New Orleans) に来る前に別の大学で映像を勉強していて、一年生の時から大学内のライブやワークショップを撮影していました。
ドラムは恐ろしく下手にも関わらず奨学金をもらっていたので、普通の学生とは違うポジションだったんでしょう。
ダレンは、ウィントン・マルサリスを崇拝していて、「ニューオリンズの伝統を守る」という考えに取り憑かれていました。
それで彼が主導して大学内にニューオリンズ・ジャズのバンドが作られたんです。
僕はクラリネットなので、当然メンバーに選ばれたというわけ。

奇妙なバンドでした。
僕以外は、誰もニューオリンズ・ジャズなんてやったことありません。
教授でさえ、何も分からない状態です。
ダレンも、ある程度聞いてはいますが、それでもサッチモとジェリー・ロール・モートンとシドニー・ベシェくらいしか知りません。
何を参考に聞くべきかさえ、誰もわからない。
カオスです。

僕は、とても楽でした。
古いジャズについては詳しいし、さんざん演奏もしてきました。
他の学生は、モダン・ジャズしかやったことないので苦労してましたが、僕は逆に学ぶことはなく、ハッキリ言って退屈でした。
その分、基礎練習や英語の授業に時間を使っていました。

クラリネットは僕しかいないので、在学中のほとんどをこのコンボで過ごしました。
つまらないので辞めたい、と言っても、なかなか解放してもらえない。
他のメンツは変わっても、僕とダレンは固定。
単位と奨学金のため、と割り切ってやっていました。

ついに辞めることができたのは、4年生のときです。
そして、ジプシー・スウィング系のバンドに入りました。
ジャンゴです。
バイオリンの代わりにクラリネット、ということですね。
これは、他のメンバーもいいミュージシャンばかりで、楽しかったな。
ギター主導のバンドなので、#系のキイが多くて大変だったけど、それも勉強になりました。
僕は学外でも古いジャズしかやってなかったし、そうすると#系のキイを演奏する機会は少ないですからね。

まあ、どのコンボもいい加減なものでした。
教授の指導も適当だったので、授業として学ぶことがあったかは疑問です。
やる気のある生徒は、コンボの練習をするよりも、どんどん町に出て演奏してましたし。
ジャズ科のカリキュラムを埋めるための、間に合わせみたいなもんじゃないかと思います。
町での演奏の方が楽しかったし、よほど勉強になりました。

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