N.O.生活7 - 奨学金

僕は、200万いくらかの資金を持って渡米しました。
300万円はなかったはずです。
ニューオリンズという田舎の州立大学でも、学費と生活費でそれなりにお金はかかります。
その金額では、もって一年。

頼みの綱は奨学金です。
日本でも、政府やさまざまな団体の奨学金制度もありましたが、対象になりそうなものは見つかりませんでした。
例えばバークリーのような有名学校であれば、海外に向けた奨学金制度も充実していますし、日本の学校と提携してたりもします。
でも、UNO(ニューオリンズ大学)みたいなローカル校の場合はそうはいきません。
大学のHPにも、奨学金の情報はあまり出ていません。
英語の壁もあって、他の手続きなどに手一杯で調べられず、渡米してから申請しよう、と思っていました。


学校が始まってすぐ調べました。
最初に、ジャズ科の代表教授エド・ピーターソンの所へ相談に行きました。
すると、留学生対象の奨学金は今は空きがない、と。
ただ、もう一人の教授スティーヴ・マサコウスキーが何か知ってるかもしれない、と言います。

スティーヴに話しに行きました。
すると、ギタリスト対象の奨学金しかない、と言います。
スティーヴは名の知れたギタリストで、彼にギターを教わりにUNOに来る学生がたくさんいたんです。

ジャズ科にはもうひとり新任教授がいました。
ヴィクター・アトキンスというピアニストです。
相談してみると、教授になったばかりで何も分からないんだよソーリーと言います。
彼は、教授にしてはどこか抜けてるような気のいいキャラクターで、本当に右も左も分からない状態だったんだと思います。

他にも調べてみましたし、すでに奨学金を取っている他の生徒も協力してくれましたが、何も見つかりません。
あわよくば数年滞在、と思ってましたが、甘くなかった。

そうこうしてる内に1〜2か月経ち、10月か11月になっていました。
アメリカの大学の一年は、5月までです。
もうあと半年くらいしか残ってない。
よし、その間、やりたいことをやろう。
授業なんてどうでもいいから、町の文化や音楽をできるだけ吸収しよう、と頭を切り替えました。


そうして奨学金をあきらめた頃、音楽学部の建物を歩いていると、教授のエドとすれ違いました。
"Hey Teppei !"と呼び止められました。
"奨学金が下りたぞ!"
えー!?
信じられませんでした。
だって、申請手続きも何もしてないんですよ?
試験や何か審査を受けたわけでもありません。
授業の合間に、僕から状況を聞いたり、向こうも気にかけてくれてはいましたが。
突然ですよ?
しかも、呼び出されたわけじゃなくて、たまたま廊下で会った時に思い出したように知らされたんですから。

さっそくパソコンで大学の個人アカウントを確認してみると、確かに奨学金が反映されています。
UNOジャズ科の、フル・スカラーシップ。
4年間、授業料免除に加え、寮が無料、食費も出ます。
やったー!

ちなみに、アメリカでは、奨学金は返済する必要はありません。
というか、返済のシステムがあるの、世界でも日本くらいじゃないでしょうか。
欧米はそんなの当たり前だし、韓国や中国の学生と話しても、驚かれます。
それ奨学金じゃなくてただの借金じゃん!って。

欧米では、優秀な学生に奨学金を与えるのは当たり前。
投資なんですよ。
大学にしてみれば、自分の学校から優秀な人材が生まれることはメリットです。
宣伝になるので優秀な学生がどんどん集まってきます。
生徒も感謝して、卒業後も様々な形で学校に協力を惜しみません。
その循環によって、学校自体の質が向上していきます。
これは、地域やコミュニティでも同じこと。
だからみんな、才能があったり何かにトライする人間を、心から素直に応援します。
そして、個人の才能が開花して社会に還元されることで、国自体も豊かになっていきます。
経済的にも文化的にも。


とにかく、いまだに全く理由は不明ですが、奨学金が取れました。
友達と、ピザとワインでお祝いしました。

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