2015年12月28日月曜日

感情はすぐに流される

どうやら風邪のようです。
喉はだいぶ治まってきましたが、まだ微熱が引かない。
動けないほどじゃないんです。かなり普通にやれます。
でも、能動的に何かやる気が起きない。

で、いつも読んでるブログを開いたら、こんな記事がありました。
この団体の詳細は知りませんし、もしかしたら非常に共感できる主義主張をしているのかもしれません。
が、記事の最初に引用された文からして、僕はこの団体を信用できない。
そうすると、この団体の主張も信用できない、と思ってしまう。

この筆者の書いている通りです。
自分の意見を人に伝えたいなら、論拠を示さなくてはいけない。
それも、同じことを伝えるにも、相手によって例や言い方を変える工夫も必要です。
それが、意見に対する反論であるなら尚更です。


しばらく前に、安保法案に反対するデモがありました。
僕の周りにも、デモに行った人はたくさんいました。
でも、僕は行かなかった。
なぜかというと、まず前提として、僕はその問題に関して自分の主張を持てるほどに詳しくなかった。自分から積極的に調べていませんでした。
その中で、賛成派と反対派の意見が耳に入ってきます。
賛成派の意見は、普通の言葉を使い、論理的で納得できるものが多かった。
対して反対派の意見は、強烈な言葉を多く使っているにも関わらず、論理的な説明がほとんどない。
それだけで、反対派に対して懐疑的な印象を持ちました。

繰り返しますが、僕は自分自身でディベートに参加できるほどには、問題に対して調べてコミットしていませんでした。
複雑な問題ですし、ちょっと調べたくらいではよく分らない。
毎日、地道に情報を調べて考える作業が必要だと思いますし、僕はそれをやらなかった。

デモに参加した人や戦争反対!と叫んでた人達って、もちろん僕の何倍も勉強して調べてたんでしょうけど、ならどうして僕みたいな不勉強な人間に分かるように説明する努力をしないのか。
自分の興味ある問題に対して、他の誰もが同じように時間と熱意を持って勉強するなんて、あり得ないわけです。
政治や経済のような、いわば難しい問題に対しては、僕みたいにどっちつかずの場所にいる人の方が多いと思います。
そういう人にどうやって伝えていくか、能動的でない人にも興味を持ってもらうにはどうしたらいいのか。

賛成派は、しっかり分かり易く説明することを心がけていたと感じました。
反対派は、「戦争」「子供」といった、キャッチーな言葉を使って、頭での理解をすっとばして感情に訴えかけようとしていたように感じました。
そういう、感情に訴えかけるやり方は、ズルいと思います。
安物の壺を「これを買わないと子供が不幸になるよ」といって売りつけることと、同じ方法論です。
本当に効果がある壺なら、その効果を具体的に説明すればいい。
効果がないから、不安を煽って、感情を動かす必要があるんです。

というわけで、僕自身としては賛成とも反対とも言えなかったけれど、反対派のやり方があまりにも嘘くさいので、少なくとも反対はあり得ない、というポジションに落ち着いたわけです。
これ、ずっと思ってたけど、友達にもデモに行った人はいたし、その中にはたぶん深く勉強しないで流されて参加した人もいるだろうし、ブログに書くと、そういう人って自分のことを言われたように思ってしまったりするし、面倒で今まで書かずにいました。


書いてると、頭が冴えてきますね。
続けます。


僕のブログを読んで、「そんなこと書く必要ない」「なんでわざわざ敵を作るようなこと書くの」と、心配してくれる人がいます。
これが、理解できない。
敵って、なんでしょう?
僕は生れてこのかた、誰かを敵と思ったことはありません。
意見が違う人が敵なんでしょうか?
でも、人と考えが違うことは当たり前だし、時には感情が高ぶってケンカになることもあるかもしれない。
それでいちいち相手を敵と思うなら、誰とも本音で話せないじゃないですか。

意見が違ったら、会話すればいい。
納得いかない、理解できないなら質問すればいい。
相手を不快にさせたら、謝ればいい。
それが人と理解し合って距離を縮める方法だと思ってます。
そのためには、まず自分の考えをオープンにすることが必要です。
だから、僕はできるだけ正直に話すし書きます。
できるだけ、相手に伝わるように、論拠を簡潔に説明し、言葉を変え、例を出します。
賛同してもらうのが目的じゃない。
伝わって理解してもらえれば、いいんですよ。

確かに、書いたことについて強い言葉で非難されたこともあります。
でも、今までそれらの中に、反論と呼べるものはほとんどありませんでした。
大抵は、僕の意見や、語尾や言葉の強さに反射的にカーッとなっただけです。
もちろん僕だって、その時浴びせられた汚い言葉には感情も動くし、楽しくはなかった。
でもそれらは、一過性の感情的なもので、別に彼らは敵ではありません。
数日すれば忘れてしまうでしょう。

感情や意見と、その人自身の本質は、別です。
とても好きな人だって、自分と反対の意見を持つことはあります。
意見は、変わります。
そして感情は、簡単に流されるものです。
どうしてその時その人はそう感じたのか、そう考えたのか、という、相手の奥の部分まで想像することをしなければ、その人はいつまでも遠い他人のままです。
敵じゃないかもしれないけど、味方でも、何でもない。


けっきょく、感情も意見も、その人の見た目や肩書きと同じように、表面的なものにすぎません。
何でも、表面的なものに惑わされないことが、本質に近づく道だと思っています。
感情をぶつけ合うことも、意見を戦わせることも、相手の本質に近づくための手段のひとつに過ぎない。
勝負ではなく、理解し合うこと。
目的が勝ち負けじゃいなら、敵もいないはずでしょう。

ということを、暖房と加湿器をガンガンに効かせた部屋で、書き始めたら思ったより饒舌になりました。

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