2014年11月1日土曜日

なんで表現の「深み」がわからないのか

表現には「深さ」があると思う。
偉そうに聞こえるかもしれない。
でも、どう考えても、あると思う。

深くて本質的な表現は、抽象的にならざるを得ない。
抽象的なものは、分かりづらい。
だから、分かる人は少ない。

どうして、分かる人と分からない人がいるのだろう。
本当は、こんな風に、分かる・分からない、と、序列をつける考え方は嫌いだ。
単純に、趣味の違い・感覚の違い、と思いたい。
でも、感じる能力の高い人と低い人がいるのは、悲しいけど事実だ。


なんでこんなことを思ったか。
2つの、表現を見たんです。

舞台を見ました。
FUKAI PRODUCE 羽衣 「よるべナイター」

羽衣を見るのは二度目です。
孤独とか愛とかいう本質的な感情を、歌あり・踊りあり、のエンターテイメントで見せます。
かなり純度が高いですが、文学的ではなく、リアルに、時に誇張した感じで役者が体を張って伝えます。

で、とても、感動的なシーンがあったのです。
それは、恋が生まれるシーンです。
でも、シリアスなシーンではありません。
セリフや設定など表面的には、だいぶ滑稽です。
恋をして盲目になって冷静さを失って、おかしな行動をしてしまっているわけです。
役者も、いいです。気持ちが、伝わってきます。
素晴らしいシーンです。
涙がでます。
だのに、ゲラゲラ笑ってる客がいる。
信じられない。
お前は恋をしたことがないのか?
この滑稽さの奥の、ピュアな気持ちが、わかんないの?

わかんないんでしょう。
可哀そうに。
そりゃ、羽衣の舞台は、にぎやかで勢いあるし、TVのアホ番組みたいに、暇つぶしとしてだって、まあ楽しめるのかもしれない。
でも、じゃあTV見てりゃいいじゃん。
この表現はさ、気軽にやってるわけじゃない。
真剣に、作られたもの。
分かんないのは仕方ないとしても、それを無責任に笑い飛ばすのは、いけない。
敬意が、なさすぎる。
例え理解できなかったとしても、作り手に対する敬意も持って、見ようよ。
隣の席だったら、絶対黙らせた。

青山円形劇場だったので、向い側の客の顔が見えます。
その笑ってる奴の方を見たら、そのすぐ下の席に、涙を流している客がいた。
なんだか、救われた。


そして、ついでにもうひとつ、ちょっと関係ないけど羽衣に苦言を。
終盤に、元野球選手の古田敦也が、突然登場します。
今作は野球を扱った芝居で、演技指導をしたそうですが、登場する必然性はゼロです。
ただ、有名人が出てきた、というだけです。
おそらくクライマックスであろうシーンです。
ぶち壊しです。
いろんな事情があったのかもしれません。
でも、羽衣がやろうとしてることって、そんな軽いことじゃないんじゃないですか?
もっと真摯に、やってるんだと思っていました。
買いかぶってたのかな?
とても残念です。


羽衣は、素晴らしい。
でもそれだけに、残念な部分もすごく多い劇団です。
今作は、羽衣を初めて見る人には僕は勧めません。
色々と残念な作品でした。
次作に、期待します。



高橋絵実という歌手を見ました。
シャンソンをメインに歌います。

とにかく、声に詰まった情報量がすごい。
いい声とか上手いとか情感豊かとか、そういうものとはレベルが違う。
もう、声自体に色んなものが宿ってる。
こういう歌手はそうはいない。
パッと思いつくのは、サム・クックとあがた森魚かな。

でも、それがわかんない人もいる。
ピンと来ない、と言う。
馴染みのないジャンルだから?
シャウトしたりするキャッチーさがないから?

好きになれ、とは言わない。
でも、普通の歌手とは種類が違うことが、わかんないの?
この表現の深さが、どうしてわかんないの?

絵実さんについては、あまりに素晴らしいので改めて書きます。


ある表現について、分かる・分からない、ということが、どうして起こるんだろう。
技術的なことや専門的なことなら仕方ありません。
例えば、音楽なら、音程が合ってない、とか、リズムがずれてる、とか。
構成が複雑で読み解けない、とか。
でも、本質的な部分が分からないのは、なんでなのか。
そこは、表面的な形式やディテールとは別だし、逆に知識や経験がなくても伝わる部分のはず。
そこが分からなかったら、人生は、感動のない、味気ないものになってしまう。
僕は、そこに動かされて音楽やってるし、そういう部分を、表現したいと思ってる。

どうして分からない人がいるのか。
伝わらないんだろうか。
残念で、悲しい。

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