2015年8月14日金曜日

◯◯風〜っていうのは、ダメです。

最近の邦楽には、センスのいいサウンドが多いなーって思います。
色んなジャンルのおいしい部分を切り取って、ミックスしたような。
ぼーっと聴いてて突然、おっ!このフレーズ!って反応してしまうことがあります。
具体的なフレーズの引用じゃなくても、例えばスライドギターが効果的に使われてたりするのも最早ごくごく当たり前だし、もっと全然マイナーな楽器だって、普通の曲のアレンジに使われています。
でも、それで唸ったり感心したり、もっと言えば心が躍ったりすることは、あまりありません。


最近、ある新譜を聴いてたら、突然ライ・クーダーの名盤「ジャズ」の冒頭のギターそっくりのフレーズが飛び出してきました。
えー!っと思いました。
それは、ツギハギの引用でしかなくて、ハッキリ言って、それを聞いていい気分にはなりませんでした。
「ジャズ」は大好きなアルバムなのに。
そこからの引用であれば、嬉しくてニヤッとするはずなのに。 

なんで響かないのか。
たぶん僕が聞きたいのは、特定のアレンジやフレーズそのものではなくて、アレいいよね!音楽っていいよね!っていう、演奏を通じた同意、共感の相槌なんです。
残念ながら、その新譜の演奏からは、原曲を愛する気持ちは感じられませんでした。
全体のアレンジとしても、不自然、とまでは言いませんが、必然性がない。
この曲調ならこれでしょ!みたいな、俺音楽詳しいんだぜ!みたいな、頭で考えたような印象を受けてしまいました。


ちょっと前に、渋谷タワーレコードで、邦楽の新譜コーナーを試聴していました。
手書きの推薦文には、どれも期待させる言葉が並んでます。
でも聞いてみると、どこかで耳にしたようなサウンドで、すぐに聞くのをやめちゃう。
なんでだろう、僕が音楽にワクワクしなくなったのかな。
そしたら、中に1枚だけ、いきなりイントロからおお!と思ったCDがありました。
知らないバンドです。
へー、と思って、歌が入ってくると…あれ?この声!
ジャケットを見直すと、聞いてたはずのCDの隣に、細野晴臣「泰安洋行」が!
間違えて、隣のCDの試聴ボタンを押していたみたい。
10個ある試聴アルバムに、1枚だけ旧譜が入ってたんです。

40年も前のアルバムです。
それが、並んでる新譜の中でいちばん新鮮に思えるなんて。
音楽性が僕の好みだ、というのも勿論あります。
でも最初にかけたときに、ルーツ音楽を消化した独特のグルーヴが、確かに他にはないものに聞こえたんです。
これはすごい!と思ったんです。

少なくとも今の時代の耳からすると、アレンジもフレーズも決してものすごく斬新なわけではありません。
でも、それぞれの楽器から奏者の「訛り」が聞こえてきて、それが混ざり合って独自のグルーヴが生まれてるんだと思います。

それは、先に挙げたアルバムのような、ただの引用・再現とは別のベクトルです。
僕はそういう奏者の訛りみたいなものが聞きたいんですよね。
その訛りから滲み出る、フレーズや音楽への興味や愛情、いいよねコレ!っていう感覚。
同じフレーズを演奏しても、そういう個人的な思いは人それぞれ違うはずで、その思いが演奏から感じられる時に、心が動かされるんです。

色んな音楽が、例えば細野晴臣や林立夫を通過することで、独自の旨味が出てくる。
◯◯風の〜ということでアイディアを引っ張ってくるだけでは、あんまり面白いものは生まれないと思います。


そこそこ音楽を聞いてれば、そこそこのアレンジを思いつくのは、たぶんそんなに難しくない。
昔と違って、今では世界中の音楽に簡単にアクセスできます。
結果、そこそこセンスのいい音楽が増えてるように感じます。
でも、聞く方だって色々聞いてるわけで、最早よっぽどじゃないと新鮮には感じません。

表面的な新しさで聞き手の心を掴むのは、難しい。
自分で本当に共感し消化できたもので勝負した方が、心に届くし、結果としてオリジナルな音楽ができるんじゃないかな。

結局は、内面から滲み出てくるものがオリジナリティーであり、色気なんだと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿