2014年10月15日水曜日

自分の演奏が好きになってきた

雨の日は内省的になる。


ここ半年くらいかな、ようやく自分の演奏にOKを出せるようになってきた。
自分の演奏が好きになってきた。

クラリネットを始めて15年くらいだろうか。
その間、自分のライブはほぼ全て録音して聴き返している。
聴く度に、落ち込む。
よっぽど才能がないのかと思ったことも何度もある。
特にテクニック面で落ち込むことが多かった。単純に音を外したり、フレーズが変だったり。
みっともないし、恥ずかしい。

それでも、他人から褒めらたりもする。
いや、褒めるのもわかるんですよ。
彼らが、僕のどの部分を好きで評価してるのかはわかる。
でも、それで至らない部分が全部チャラになるわけじゃない。

練習はしてきたし、至らない部分は修整してきました。
常に上達はしてきたと思います。
でも、どれだけ上達しても、自分の演奏を聴き直して、よし!と思ったことは少ないです。

なんで最近、よし!と思えるようになったのか。
それは、テクニックとか修整とか上達とかではないです。
自分の好きな、理想とする演奏に近づいているからです。

感動してきた音楽があって、その音楽のどんな部分に心を動かされてきたか、ということがあり、そのぼんやりした抽象的な部分が、ようやく自分の演奏からも聴こえてき出した、ということだと思うのです。


誰々の演奏をコピーして、その人のフレーズをマスターしていく、というやり方があります。
レスター・ヤングぽいね、とか、ジャンゴみたいだね、とか、中には、過去の偉人そっくりに演奏できる人もいます。
よくアドリブ入門とかでも、最初はコピーから、と言われますよね。
僕も色んな人をコピーしましたが、特定の誰かのスタイルの影響というのは、薄いです。
なんでかというと、聴いてきた音楽の中に、クラリネットの入っていないものが多かったからだと思います。
なので、自分の演奏を聴き直しても、特定のクラリネット・プレイヤーを連想することはありません。

僕の場合、特定の人やスタイルやジャンルではなく、ものすごく抽象的でぼんやりした、でも自分の中では明確な何かに惹かれて音楽をやってきました。
ぼんやりしている故に、具体的にどうしたらそこに行けるかがわからない。
あるフレーズを練習して、それがマスターできたら嬉しい、あるいは誰々みたいに吹きたい、といった具体的な喜びとは違うことを、ずっと求めてきたわけです。
これができた!一歩進んだ!という経験の積み重ねではなく、ぼんやりした道を来たので、自分がどの程度進んでいるのかもよくわからない。測れない。
いいか悪いかは別として、そうやってきたように思います。


その、ぼんやりしたものが、演奏からにじみ出るようになってきた。
あるいは、にじみ出てはいたんだけれども、至らぬ部分が修整されてきたことで、より全面に出てきたのかもしれない。
なんでそうなってきたのかは、わかりませんが。

と、書いてみて、気づきました。
冒頭に、自分の演奏にOKを出せるようになった、と書きました。
それより、その後の、自分の演奏が好きになってきた、という方が、正しい気持ちです。
ぼんやりしたやり方でやってきたので、OK!ということは、きっとないんだと思います。
OKって、具体的な基準があってのものですから。
なので僕の場合、好きか嫌いか、ということしかないわけです。


僕は、自分の録音した音源は持ってません。
アルバムとかで完成したCDをもらっても、誰かにあげるか捨てるかしてきました(CDくれた人、ごめんなさい。でも一応、いらない、って言ったと思いますよ)。
自分の録音を、反省・研究の目的以外で聞き直すことはありません。
でも、今なら違うかも。
自分の演奏を、たぶんリスナーとしても聴きたい。
これは、とっても嬉しいことです。


自分にOKを出し続けることは、たぶん簡単じゃない。
そして、そもそもOKを出すことが幸せなのか。
あるレベルに達した、合格点に届いた、ということが重要なのか。
それより、自分を好きになれた方が、幸せだと思う。

僕の場合、すごい!どうしたらあんな風にできるんだろう?というベクトルではでなく、単純に、素晴らしい!と感動したことが音楽の初期衝動です。
なので、自分の演奏が好きだということは、その感動が失われていないということであって、正しく進んできたという証明なんです。
きっと、僕が感動してきたミュージシャン達は、今の僕の演奏を好きになってくれるでしょう。
なぜなら同じものが流れてるから。

しかし、15年とは。
長い。
でもそれだけの間、ぼんやりした道を歩かせるだけのものを内包した表現があるということ。
そういう表現に出会えたことに、感謝です。


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