やましいたましい

最近、音楽活動について書くことが多いです。
なんか、音楽活動報告ブログみたいで、どうかなーと思ってます。

ブログを始めた当初は、そんなに音楽活動について書く予定じゃなかったんですよ。
ニューオリンズのことや、自分の考えや、クラリネットのことなんかを書きたいな、と思ってました。

でも、やっぱり音楽が中心にあるので、音楽のことを考えることが多いし、音楽活動も面白いものが多くて、そうするとやっぱり書きたくなる。

今日こんなことがあったよ!って、誰かに話したくなるような気持ちと、同じなんだと思います。
自分にとって重要で意味のあることを、人に話して共感してもらいたい。
そういうのって、すごく根源的な欲求だと思います。

話を聞いてくれる、感情に寄り添ってくれるような、誰かがいること。
そういう誰かがいるかどうかで、人生は変わってきます。

ブログは、誰が読んでるのかもわからない。
どう思って読んでるのかも、わからないです。
特定の誰かに向けて書いてるわけじゃないです。
宙に向けて書くみたいなことでしょうか。

宙に向けて書くだけで、気持ちが整理されて軽くなっていく。
不思議です。
いや、そんなに大げさな感覚じゃないんですけどね。

自分の中の感情を、出して、それが文字になったものを、自分で読み返します。
ということは、自分の話を聞いてるのも、また自分。
共感してもらいたい誰かというのが、この場合は自分になるんですね。


こうして、何も考えず書いてきて、ちょうどいま立ち止まりました。
いま自分の書いたこと、これはどういう意味なんだろうか、としばし自問自答したんです。

本当に、ブログを書きながら考えてることは、自己対話で、普段の会話ではそれと同じことを他人を相手に行っているんですね。
だから、もしかすると、ブログを書くことで、人の話をより深く聞けるようになるかも。
ブログじゃなくてもいいのかな。
日記でもいいだろうけど、第三者の目に触れるから、やっぱりブログの方がいいのかな。

うん、たまには、こういう風に、頭の中をそのまま文字に起こしたようなのを書くのも、いいと思う。
とにかく、人に理解してほしい、分かり合いたい、繋がりたい、という気持ちがあるわけで、そのためには自分をどれだけそのまま提出できるか、ってことで、僕はそれを音楽でならできるけど、音楽以外でも、どんな形でも機会があれば実践したいな、って思ってます。

隠さずにいたいと思ってます。
何もやましいことはしてないですから。
やましいと思ったら、やましくなる。
どんな恥ずかしい考えだって、自分から出てきたものは全部、自然で正しいことだと思います。
人がそれに対してどう思うかとか気にして、隠したり繕ったりすることで、自然で正しい感情をやましいものに変えてしまう。
そんなの、誰も得しません。

またこういうこと書くと、そんなこと言う必要ないじゃん、とかね、意見を言われたりするんですよ。
でも、書きますよ。
綺麗なうわべだけ見て、好きになってもらったって、そんなの全然気持ちよくないもん。
誰も傷つけずに生きてくことは絶対にできないんだから。
傷つけたら、謝ればいい。
そうやって、相手を知っていくんだから。

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