2015年2月19日木曜日

感情を表現するということ

先週のワンマンの後、絵実さんに、「4000粒の恋の唄」のソロが良かった、と言われました。
単にかっこ良かった、とかじゃないんです。
抑えて秘めるようにして歌っている、言葉の裏側の感情が、ソロの中で表現されていた、と。
面白いです。
楽器は、言葉がないから、抽象的な感情をダイレクトに表現できるんですよね。
例えば「愛してる」という歌詞があっても、そこに込められる感情はひとつじゃない。
いろんな「愛してる」があって、それは本当は愛していないのかもしれない。
まあ、J-POPの歌手なんかは、みんな同じ紋切り型で歌いますけどね。
でも本当は、歌うって、もっと恐ろしく繊細な作業です。

抽象的な感情を、どういう風にカットして形を整えて提出するか。
宝石を原石からカットするようなことかもしれません。
「愛してる」とう言葉ひとつを歌うのに、どれだけのエネルギーを使うか、想像するだけで空恐ろしくなります。

それが楽器だと、言葉という具体的な形がないので、元となる感情の塊を、ほぼダイレクトに、原石のままで表現することができます。
愛してるも愛してないも、実は両方が、そしてその他の色んな感情が、複雑に混じりあって絡みあった感情だったりします。
それを、カットして整えることをせずに、混じりあったまま、生に近いものを提出できるんです。
クラリネットは、声に近い楽器と言われるだけあって、そういう特性に優れていると思います。
ただ、もちろんこれは、その原石・塊にアクセスする能力を備えていることが、前提ですけれど。

「4000粒~」の場合、絵実さんがずっと歌ったあとで、ソロとなります。
ソロまでの間、僕はあまり吹いていません。
ひたすら、周りの音を聴いています。
今回はバンドなので、全体のサウンドを聴きます。
歌だけに意識を集中させてるわけではありません。
特にボーカルに関しては、歌う言葉の裏側の、感情の流れみたいなものに同期することに、集中しています。

つまり、僕が聴いてるのは、歌詞や歌声ではなくて、歌に込められた絵実さんの感情の部分なんです。
それは、歌という、いわばカットされた宝石を介して、その原石へと再びアクセスする作業でもあります。
絵実さんが、原石の本質を残してカットする才能を持っているので、成立することです。
で、これがね、僕の方も大変なんですよ。
実際には演奏してなくても、かなりの集中力を必要とするので、すごく消耗するんです。

絵実さんの感情の流れを受けてソロを吹きます。
なので、絵実さんの歌い方が変われば、ソロの中身も変わります。
今回、いいソロが吹けた、と感じてもらえたということは、絵実さんとの感情の同期が上手くいったんだと思います。
演奏中も、歌に入り込んでる感覚がありましたしね。

と、まあ僕はこんな風に感じながら演奏してるわけですが、クラリネットって、本当はこういう深い感情表現に適した楽器なんですよ。
だから、コードに対応するスケールを吹かなきゃ、なんて考えているのは、もったいない。
そういう数合わせゲームみいなこと、クラリネットがやんなくてもいいと思うんですよ。

僕の演奏は、一般的なクラリネット奏者と比べると、とてもエモーショナルです。
ライブを見た人から、クラリネットのイメージが変わった、とよく言われます。
それは、それだけクラリネットがお上品でつまんない楽器だと思われてるっていうこと。
もったいないです。
本来はもっと色んな可能性のある、エモーショナルな楽器なんですけどね。

そういう部分を、もっと追求していきたいと、思っています。

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