N.O.生活20 - ハリケーン

ニューオリンズには、夏になるとハリケーンがやってきます。
ほとんどは日本でいう台風のような感じで、大きな被害はありません。
2005年の「カトリーナ」のような大規模なものは、何十年に一度です。
とはいえ、台風シーズンには気は抜けません。
みんなハリケーン情報をチェックしています。
僕がいた頃は「カトリーナ」の直後だったので、より敏感だったかもしれません。


たしか3年生の時の9月、ちょうど秋冬セメスターが始まって数日経った時です。
昼頃、町全体に避難警告が出ました。
ハリケーンが来るから、ニューオリンズを出ろ、と言う。
翌日の午後には大学も閉めるので、それまでにどこかに避難しろ、と。

みんな慌てます。
寮にいる学生たちは、たいてい他州の家族のところに行きます。
僕のような留学生の場合、さすがに自国に帰るのは難しい。
友達が、一緒に来ないか、と声をかけてくれます。
どうしようか。
時間もありません。

考えて、サンフランシスコに行くことにしました。
行く先は、ニューオリンズに来る前に世話になった、ブルース&キャロル夫妻の家です。
二人にも会いたかったし、連絡すると喜んで迎えてくれると言ってくれました。

問題がありました。
飛行機が、翌々日の便しか取れなかったんです。
寮は翌日に締め出されてしまう。
友達もみんな町を出てしまう。
仕方なく、楽器の練習ブースで一晩過ごすことにしました。
大学を通る空港行きシャトルバスに電話をして、翌々日に運行するか確認して予約をし、荷物をまとめ、学校を出るフリをして音楽学部のビルへ向かいました。

練習室で寝るのは初めてではありません。
毎年夏休みに帰国するとき、安い航空券を取ると、どうしても寮が閉まってから1〜2日後の便になるんです。
その間いつも練習室の床に寝て過ごしていたので、勝手はわかっています。
ピアノの椅子をどけて、かけ布団を二つ折りにした中にくるまって寝るんです。

その晩は、雨は降ってないけど、迫ってくるハリケーンの影響で風がものすごかった。
大学の敷地内は無人だし、電気はつくけど、なかなか不気味でした。
誰もいないしやることもないし、眠くなるまで楽器を練習して過ごしました。


翌日の午前中、シャトルバスの待ち合わせ場所に向かいます。
まだ雨は降らず、風もだいぶ収まっていました。
しばらくすると、別の方向から誰かやって来ます。
スーツケースを運んでるので、きっと彼も学生でしょう。
近づいてきて驚きました。
1年生のときの最初のルームメイトだった
アジータじゃないですか!
彼も一日遅い飛行機しか取れず、同じシャトルバスを予約していたんです。

他には誰もいません。
キャンパスを見渡しても、動く影もない。
2人で話しながら待ちました。
アジータは、寮から出ずに、一晩部屋に隠れて過ごしたそうです。
警官が見回りにきた時は上手く隠れて、電気もつけずにいたと言います。

おかしい。
時間を過ぎてもシャトルバスが来ません。
バス会社に電話をしても誰も出ない。
ヤバい。
これは諦めたほうがいいだろう。
アジータはネットが使えたので、タクシー会社を調べて、手分けして電話をかけます。
なかなか繋がらない。
何度か断られ、やっとタクシーを呼びました。
しかし、10分くらいで来るはずのタクシーが、やはり来ない。
これは本気でマズいぞ。
ハリケーンの中に、取り残されてしまう。
寮も音楽学部のビルももうロックされてる。
食料も何もない。
カトリーナの時に見た映像の、町が水浸しになった様子が、頭をよぎります。

そのとき、学校のすぐ脇の道路を走るタクシーが見えました。
手を振り叫びながら必死に走っていくと、気づいてこちらに向かってきました。
やった!助かった!

ドライバーは、人のいいおじさんでした。
朝から、町と空港を往復してるそうです。
空港へ向かう高速道路は、避難する車で大渋滞です。
おじさんは、一般道の方が早いから、と言って、舗装の傷んだデコボコの道をかなりのスピードで飛ばします。
みんな高速道路を使っていて、町中は誰も走っていないので、ぜんぜん止まらずに進むことができる。
おかげで、なんとか飛行機の時間までに空港にたどり着けました。
高速を使っていたら、もっと時間がかかっていたはずです。
代金を払ってお礼を言うと、自分もこれから避難するからもう店じまいだ、と笑顔で去っていきました。


アジータと別れ、サンフランシスコ行きのゲートに向かいます。
空港はものすごい混雑です。
椅子はいっぱいで、みんな床に座っている。
チェックインもどこも長蛇の列。
飛行機も遅れまくっている。
大混乱です。

お昼頃に着いてから数時間、予定時間を大幅に過ぎて、ようやくサンフランシスコ行きの便に乗ることができました。
ギリギリでした。
僕の便が飛び立ったすぐ後に空港は閉鎖され、それ以降に予定されていた飛行機はキャンセルとなりました。
残された人々は、バスで近くの避難所に運ばれたそうです。
空港への到着が遅れていたら、僕もそこで何日も過ごすことになっていたでしょう。


ハリケーンは進路を変え、ニューオリンズは無事でした。
しかし、すぐ続けて別のハリケーンが向かって来る可能性があって、町に戻るか決断の難しい状況でした。
けっきょく、サンフランシスコに1週間くらい滞在しました。
その間、テレビのニュースでハリケーン情報をチェックする度に、悲しいような不安な気持ちになります。
カトリーナの光景や、その時の体験を話してくれた人たちのことが浮かんでくるんです。
僕でさえそうなんだから、カトリーナを経験したニューオリンズのみんなは、どれだけ不安だったんだろうか。
そういう精神状態で避難所に大勢でいたら、かなりのストレスでしょう。

ブルース&キャロル夫妻のおかげで、余計な気疲れもなく過ごせたのは、幸せでした。
そして、空港まで送ってくれたタクシーのおじさん。
ありがとう。


何事もなくニューオリンズに戻り、大学も再開されました。

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