2016年11月22日火曜日

「なにか言わなきゃいけない病」

ある若い医者が、父親が死んだ時に言われたそうな。
「大変だと思うけど、この経験はきっと医者としてプラスになるよ」
当人はそれを聞いて、なんだか腹が立ってしまった、と。

こういうこと、よくあるよな。
とりあえず適当になんとなくその場に合いそうなことを言う人、いるいる。
この場合も、言われたことを真剣に捉えて、「プラスになるって、どうしてですか?」なんて質問を返したら、たぶん相手は答えられない。
いや、またなんとなく「医者っていうのは人の命を扱う仕事なんだから、死を身近に経験することで成長できる部分もあるはずだよ。」とか、こうしてコーヒー飲みながらでも思いつくくらい無内容なことを答えるかもしれない。
あげくの果てに、「君もいつか分かるよ」なんて終わらせてしまう。
そう言う人って、まず自分でもちっとも分かってないに決まってるんだよね。

「なにか言わなきゃいけない病」ですね。
相手に対してなにか言葉をかけたい。
「大変でしたね」
「つらかったでしょう」
「ご愁傷さま」
とか、他にもたくさんのパターンがあるけどいま思いつかないけど。
言われた方が、心に響いて感謝する、ってことは、ほとんどないんじゃないでしょうか。
もっとひどい場合には、
「○○でもしたら、気持ちが晴れるよ!」
なんてアドバイスしてきたり。
もうそうなると、逆にイライラしてくる。

なんで言葉をかけたりアドバイスしたがるのか。
それって実は、相手を気遣ってるんじゃなくて、自分を主張したいだけなんですよ。
私はやさしい振る舞いのできる立派な人間なんです。
人の役に立てる、価値ある人間なんです。
こんなこと知ってる優秀な人間なんです、という主張
自己主張が相手の心に響くわけないんだから、けっきょく発言者の評価が上がるわけでもない。
誰も得しない。
得するどころかイライラしたりして、いいことない。
不健全です。
だから、病気なんですよ。
病気は早く治して健康的なコミニュケーションができた方が、みんな幸せになれる。

本当に気遣いのできる人は、主張しない。
本当に役に立てる人は、自分から売り込まない。
本当に知識のある人は、請われるまで発言しない。
だって、それが本当であるなら、本当だと自分で思えているなら、第三者の意見確認は不要だから。


冒頭の例の場合、具体的にどういうシチュエーションだったのかは分かりません。
葬儀の席だったのか、後日どこかでバッタリ会ったのか。
関係性にもよるけど、「久しぶり!」「元気?」みたいな挨拶の言葉として、「大変だったね」くらいは、いいかもしれない。
それすら、具体的にどう大変だったかは分からないわけだから、変に同情してます的なニュアンスがあってはいけない。
そう、言葉をかけるって、実は大変なことなんですよ。

ただ話を聞いてうなずくだけでいいじゃん。
もちろん、形だけウンウンやるんじゃなくて、当事者の気持ちを想像しながら。
気の利いた言葉を考える頭があるなら、そういうことだってできるはず。
何も言わずに、そこに居るだけでもいい。
そもそも人に何か言うって身勝手で傲慢なことだ、という自覚を待つべきです。
人にアドバイスしたくなったら、それは病気のしるし。
「なにか言わなきゃいけない病」
治した方がいいですよ。

治療方法は知らんけど。

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