何年やったら「習慣」になるんだろう

ブログを書くペースが落ちてきた。

翻訳ものを中心に過去記事を手直ししてることと、ブログ以外でも文を書くことが増えてきたことが、まあ理由といえば理由かもしれません。
わからない。

わかるのは、習慣になったと思うことでも、ちょっとしたきっかけでリセットされてしまう、という事実。
ブログを2年もけっこうなペースで書き続けてきて、習慣化した気になってたのに。
楽器の練習も、毎日やってる。
でもそれも、実は習慣じゃなくて、「やりたい」という強い意志があるから、続けていられるだけなんだろう。
ブログは、そこまでの意志でやってるわけでもない。
何のために書いてるのかも、よくわからないくらいだし。

「習慣」て、なんだろう。
楽器だってもう20年とかやってる。
20年って、長いと思います。
それでもたぶん「習慣」にはなってない。
歯磨きや手洗いは、そうなのかな。
もう軽く30年以上やってる。
30年続けたら習慣になるのか。
20年の時点では習慣じゃなかったのか。


覚せい剤中毒だった人たちの話が、すごく興味深い。
クスリをやりたい、という欲求は、ずっと消えることはない。
だから朝起きたら、「今日一日、やらない!」と自分に言い聞かせるそうです。
毎日がそのくり返し。
強い覚悟を持って一日を送ることを、たぶん一生涯続ける。
ものすごいことです。
その点だけで、尊敬できます。

それはきっと、何十年も毎日続ける、と思ったら、逆に続かないから。
先が見えなくて、気が遠くなって、意志が弱くなる。
だから、「一日」に区切って考える。
明日のことは考えない。
何十年も先のことも、もちろん考えない。
そうやって、意思を保つんでしょう。
本気だから、なんとしても成し遂げたいから、努力する。


きっと、楽器の練習だって、意識してなければ止めてしまうかもしれない。
特に管楽器の場合、いつでもどこでも気軽に手にとって音を出せるわけじゃないから。
ギターみたいに、ポロンと鳴らしてみる、っていう気軽さがない。
音を出すには、時間を決めて場所を決める必要があります。
限られた中でやるわけで、練習内容も決めておかないといけない。
そんな面倒な作業を毎日毎日、気分がのらない時でも続けるわけです。
大変です。

大変なことを続けるくらいに、俺は本気なのか。
わからない。
あんまりそんなこと考えたことない。
やりたいからやってるし、やりたいと思う気持ちが薄れたら、やめるだろう。
もしかしたら、もっと意思を持って、何かを成し遂げようと思ったら、いいのかもしれない。
でも逆に、何も目標設定もなしにして、こうやって続けてこれてるんだから、自分の音楽への愛は自然なものなんじゃないか、とも思う。
まあでも練習はやっぱり大変ですからね、「一日」とか区切って考えるのは、有効そうだ。


ブログも、やめるのはもったいないし、何か区切ったらいいかもしれない。
じゃあ、だいぶ放置されてるニューオリンズ記を、 週イチで更新していこう!
と、いま、本当にこの瞬間に、思いつきで決めました。
そして、これをアップしたら、もう逃げられない。
やります。
よろしく。


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