2016年4月3日日曜日

FUCK!邦画の「主題歌」

先日、『あん』を見たわけですが、ラストの樹木希林の姿から永瀬正敏がきっちり映画を締めて暗転したところで、「主題歌」が流れ始めました。
僕は、それまでの感情の流れが断ち切られることに耐えられずに席を立ちました。

冒頭しか聞かなかったけど、軽々しいJpopではない、いい歌のようでした。
でも、それまで劇中で歌なんか流れてなかったわけで、静かな映画で、木の揺れる感じやら風景を見せてきたところに、突然に人の声が鳴り響くって、唐突です。
エンドロールが終わるのを待つ間、廊下にあった『あん』のポスターを眺めてたら、「監督」「俳優」と並んで、「主題歌」の表記がありました。

ポスターに大々的に書く、ってことは宣伝効果がある、って判断でしょう。
でも、たぶん、そういう邦画の主題歌って、どうせエンドロールに流れるだけじゃん。
それを楽しみに来る人なんて、いるのかな。
好きな歌手の歌を映画館で聞きたいために、それまでの2時間を過ごす、っていうことなの?
2時間待った末に、好きな曲を暗闇で座ってじっくりといい音響で聞くのが、至福なの?

それはあり得ないとは言い切れないけど、そういう人はたぶん多くはない。
じゃあ何のためなのか、というと、映画じゃなくて歌手の側の宣伝でしょ。
お金を出資するから、主題歌をやらせてくれ、と。
駅にポスター貼るのと一緒ですよ。
邦画のエンドロールが、山手線の吊り広告やテレビCMと同じ、宣伝したい人募集!ひと枠いくら!というコーナーになってるということ。
ただ、それが明確になると客は本編が終わったら席を立つだろうから、うまく誤魔化すために、なんとなく映画の雰囲気から遠くないような歌を選ぶ。
監督やら作り手側も、映画を成立させるためにお金が必要だから、どっかで妥協する。
演技できないアイドルを主演にしろ!ってケースもあるんだから、それと比べたら、エンドロールくらい捨てますよ、と。


主題歌って言っても、例えばロッキーやスターウォーズのテーマ、とかはまた別ですよ。
そういうのは、主題歌と映画の中身がリンクしてるわけで、やっぱりクライマックスであのテーマが流れてこそのロッキーです。
いわゆる「懐かしの映画音楽全集」とかに入ってるようなやつ。
エデンの東とか。
そういうのって、劇中でも主題歌が時にはアレンジを変えて繰り返されたりして、特定のムードを象徴する役割を担っていて、それがクライマックスや、あるいは最後のエンドロールで流れることで、映画が完成する、みたいな使い方をされてる。
それが、映画の全体を象徴する、まさに「主題歌」と呼ぶべきものなんですよ。


僕はもうね、はっきり言って、ポスターに「主題歌」が書かれてる邦画、できれば見たくありません。
でも、『あん』でさえ「主題歌」がつくんですからね。
誰だかチェックもしなかったけど、たぶん、いい歌ぽかったけど、ポスターに「主題歌/◯◯」って書くということは、そこに何かがね、あるわけじゃないですか。

と、ここまで書いて調べたら、歌っていたのは秦基博でした。
しかも、監督が指名して主題歌を書き下ろしたという。
本当かよ?
まあ指名は本当だとしても、その前に主題歌をつけなきゃいけない、という約束があったんじゃないの?
それじゃなきゃ、主題歌を書き下ろさせた意味が理解できない。
歌は聞かなかったから分からないけど、仮にそれが映画にインスパイアされたものであっても、とってつけたように最後に流すだけじゃダメでしょ。
ちゃんと、本編ともリンクさせて全体として効果を生まないと、意味ないよ。
ちなみに、その後に続いて見た橋口監督の『恋人たち』は、Akeboshiの曲をそうやって上手く使ってたよ。


もはや破綻して腐り果てたゴミのような日本映画界で少しでもいい映画を探そうと思っても、どうしても今後「主題歌」問題は避けられそうにない。
嫌だなー。
せめて、「主題歌」が流れるまで、1分、いや30秒でもいいから、他の、なんでもいいから映画の余韻を断ち切らないインストの音楽を流してほしい。
その間に、僕は席を立つので。
主題歌目当てのひとは、残ればいいじゃないですか。
テレビだって、録画するとCMをカットする機能とか普及してる。
でも、きっとCMも楽しんでる人、少なくとも邪魔に思わず普通に見てる人もいる。
CMは飛ばせるし、ポスターなら見ないことができるけど、音楽は、耳を塞いで聞こえないようにすることは難しいんだから、そのくらいの選択肢を配慮してほしい。

そうやって、宣伝を押し付けるんじゃなくて客側の気持ちを考えてくれるなら、その主題歌、聞いてやってもいいよ。
お客はバカじゃなくてあんた達よりずっと頭良くて偉いんだからさ。
俺たちから金取りたいんなら、もっとない知恵を必死に絞ってよ。



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