友人の訃報

友人のギタリストが死んだのを、Facebookで知りました。
友人いっても、一度会っただけです。
でも、とても印象に残っていて。
すごく個性的で、歌心のあるいいギターを弾く人でした。
テレキャスでね。
ライブを聴きながら、クラリネットで何かの形で一緒にやれないかなーと妄想したくらいです。
こんどGWOとまた一緒に何かやりましょう!といって実現しないままでした。

よく、演奏には人柄が出る、といいます。
これは、アメリカに行って、本当にその通りだと思うようになったこと。
だから、演奏を聞いていいな、と思った人には、勝手に親近感が湧いてしまいます。
彼とは言葉も交わし、その居方も好きだったので、余計に。

僕よりそんなに年上ではないはずです。
病気で亡くなったそうですが、詳しくは知りません。

すごく親しかったわけではないのに、ショックです。
ショックというか、よく説明できない気持ち。
このショックは、どこからくるのか。
本当に俺は悲しいのか。
人が死んで、Facebook上のコメントを読んで、なんとなく悲しい気分に浸りたいような、自分勝手な妄想なんじゃないか。
死って、ドラマチックな出来事だし。
雨だし。


Facebookでは多くのコメントがついてました。
僕はなんだかコメントする気にはなれず、いいね、しました。
でも、人が死んでいいねって、違和感ありますよね。
でも他にオプションないから仕方ない。
英語圏だと、たしかLikeだったと思います。
Likeの方がまろやかで、応用がききます。
かといって、他にLikeのニュアンスに相当する日本語があるのか。
言葉って難しいです。


この気分が、何日も続かないだろうことは、分かっています。
だから、消えちゃう前に、消化というか整理したいなと思って書きました。
誰かと話せばいいんだろうけど、残念ながら共通の知り合いもあまりいません。

本当に、いいギターだったんですよ!
彼のギタープレイが心に残ってるから、こんな気持ちになるんです。
ライブ見に行っておけばよかった。
音楽の話も、もっとしたかった。

音楽は、演奏したそばから消えていくものだし、人は死にます。
もっと、ライブに行こう。
人に会おう。
と、思いました。

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