アキヤマフルート

木管フルートの修理が終わりました!
といっても、直しに出してたことも知らない人がほとんどですよね。

アキヤマフルートにお世話になりました。
しばらく前、フルートを手に入れた時に見せに行って、吹き口の穴のサイズについてアドバイスをもらい、修理をお願いしたんです。
加えて、ケースも付属してなかったので、楽器に合わせて作ってもらいました。
木管なので、既成のケースではサイズが合わないんですよ。

よくやく吹き口の直しも完了、ケースも出来上がったということで、お昼の暑い最中に自転車で30分、練馬まで取りに行ってきました。
日に焼けました。

修理は、もちろん完璧です!
前とは違って楽に音が出る。
細かい調整もしてくれたとのこと。
素晴らしい!

ケースもバッチリ。
フルートのケースって、タイトなんですね。
クラやサックスと違って、クッションもなくて、隙間なく楽器を収めるようになってる。
よく出来てるなー。

秋山さんは、リペアマンではなく、楽器製作者です。
ルイ・ロットという100年ほど前に作られていた名器を範としてフルート製作を行っています。
音色を追求した結果、同時代の銀食器を手に入れて、それを加工してなんと管体から作ってるんですよ!

このアンティークの銀のフォークやお盆が、フルートのボディになります。 
しびれます!

もちろん、こだわっているのは素材だけではありません。
パッド等の細部に至るまで、独自の方法を追求しています。
フルートをまだあまり知らない僕にとっては、細部のメカニズムまで興味深い話ばかりです。


コーヒーを頂きながら小一時間ほど、色々な話をしました。
フルートの設計面だけではなく、秋山さんの楽器や音楽に対する考え方にも共感する部分が多く、刺激になりました。

楽器や、そして奏者からも、繊細さや表現力が失われてきている。
あの人の音色をもう一度聞きたい!と思わせる奏者が少ない。
音楽的な音色が出せないことを、機械的なテクニックでカバーして、それで上手いと思い込んでる奏者が多すぎる。
極論、1つの音のロングトーンだけで勝負するべきだ、と秋山さんは言います。

その通りだと、僕も思います。
もうね、曲芸のようなものが音楽と呼ばれている状況が普通です。
大きい音で早いフレーズを正確に演奏することがプライオリティになってしまっている。
指が早く動くことと、それが音楽的かは別問題のはずなのに。

僕自身、音楽学校ってくだらない、というブログ記事を書いたこともあります。

心の中に音楽が鳴っていなければ、音楽にはなりません。
指が早く動くことは肉体の鍛錬の結果に過ぎず、音楽とは無関係。
だから、テクニックを磨いただけの奏者から出てくるのはただの物理的な「音」に過ぎなくて、音楽ではない、ということ。

さらに、秋山さん曰く、現代の楽器は進化しているとは言いがたい。
楽器は本来、誰でも同じ音が出るのじゃなくて、吹き手によって違う音になるはず。
誰でも同じような音が簡単に出せて、音量が大きく操作し易いという、表面的で分かりやすいことばかり優先すると、深みや繊細さがなくなってしまう。
インスタントに音が出る方が、本当はおかしい。
口先の部分だけで鳴るはずはなくて、身体全体を使って響かせないといけない。
なかなか音が出ないものを、練習していい音を作っていくべきで、楽器にはそういう作業のできるポテンシャルがないとダメだ。

同感です。
未完成なものを理想に近づけていくのが面白いわけだし、その過程でいわゆる個性も作られていくんだと思います。


フルート製作について、「これでビルは建たないよ」と言ったのが印象深かったです。
確かに、ビルが建つようなものはどこか信用できない。

面白く、そして身の引き締まる話ができました。
こんな風な考えを持ったクラリネット製作者が、国内にいないもんかな。
僕も古い楽器を使っています。
キイにはガタつきが出てるし、ピッチは悪いし、すぐに狂うから頻繁に調整が必要だし。
新しく楽器を作ってもらえたら!

フルートが上手くなって、どんどん使うようになったら、いつか秋山さんの楽器を吹きたいです。
練習します!

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