2015年7月16日木曜日

「オリジナル」って、べつに偉くないと思う

ニューオリンズ大学での授業中、ああ俺はジャズ無理だと思ったことがありました。
曲の最後を、1度のコード=ドミソの音で終わるのを、「boring(つまんない)」だからと言って、いろんな「interesting(変わった)」なコードに置き換えて教授が実演してみせたんです。

確かに変わったサウンドでした。
でも、その「boring」という感覚が、そもそも僕の中にはないんです。
僕だったら、同じキイの循環コードを一晩中演奏してても楽しいだろうなーって、その時思ったのを覚えてます。
この「boring」という言葉が、ジャズ科にいる間ずっと自分の中で引っかかっていました。

「boring」より「interesting」の方がいいという感覚。
人とは違うこと、新しいことをやることがいいという感覚。
これが僕の中にないし、その考え方に共感もできないんです。
それはただの比較でしょう?
表現をするにあたって、何かと比較することこそ、不純に思えてしまうんです。


たぶん15年くらい前、久保田真琴がソロ名義で新譜を出しました。
いいアルバムだったと、記憶しています。
それを聞いて、今更あんな新しさのないアルバム出したって意味ないよ、と言った人がいました。
その発言に、強烈な違和感を覚えました。
僕は、そのアルバムがいいかどうかを話したいのに、彼は、新しい音ではない、ということで切り捨ててしまう。
耳はあるのかよ?
体が動いたり涙が出たりするのは、新しさと何の関係もないだろ?って、思ったんです。

そもそも、誰もやってない新しいことを発明しようなんて、無理だと思うんですよ。
どんなに新しく見えることも、過去に誰かやってたりします。
全ての新しい表現は、実は過去の断片の組み換えでしかない。
でも、その人の送ってきた人生は、誰とも違う。
ありふれたフレーズを演奏しても、そこにその人自身がちゃんと反映されてれば、それは誰とも違う音になるはずです。
逆に、そこまで深い部分でどこかの誰かと全く同じに演奏する方が、不可能だと思います。


新しい=interesting が素晴らしい、というのは、「オリジナル」至上主義とも共通します。

僕はブルースブラザーズみたいなカバーバンドをやっています。
ライブが良くっていつも盛り上がります。
で、あるイベントの打ち上げで、カバーじゃなくてオリジナルで勝負しろよ!って、対バンの人に言われたことがあります。
僕らの方が盛り上がったから、悔しかったのかもしれません。
アホか。
別に勝負してないし。
人を負かすために音楽やってるんじゃないし。
彼は、カバーよりオリジナル曲をやってる方が偉いと思いこんでる。
きっと自分に自信がないんだろう。
そうやって理由づけをしないと、自分のやってることを肯定できないんだろう。

この、オリジナル至上主義というのは、バンドをやってるとよく出くわします。
そんなこと言ったら、いわゆる歌手や、ジャズやクラシックの人達は、みんな格下だとでも言うの?

オリジナル曲を書きたい人は書けばいいです。
でも、曲が書けるから偉いわけはない。
ギター弾けるから、クラリネット吹けるから偉いとか、誰も思わないじゃん。
逆に、素晴らしい曲を書く人に、クラリネットで勝負しろよ!なんて言うのは、おかしすぎるでしょう。


僕の考えでは、新しいこと・オリジナルなことをやろう!と思ってやるのは、オリジナリティではありません。
普通のことをやっても、どうしてもにじみ出てきてしまうのが、自分のオリジナルな部分。
オリジナリティを確認するのに他人と比較するのは、比較対象を探す永遠のループが続くだけの不毛な行為にしか思えません。

言葉だってそう。
いろんな言い回しや流行語もあるけど、どんなフレーズを使うかは、その人の本質じゃない。
何のヒネリもないごくごく普通の言葉で喋ったって、抑揚や間や、雰囲気も含めて、その人の中身はにじみ出るものです。

ファッションだってそう。
Tシャツ&ジーンズだって、目立つ顔立ちしてなくたって、奇抜な格好しなくたって、その人を見まちがえることはない。

そういうのがオリジナリティ=個性だと、僕は思うんです。
人と話すのが楽しいのは、話題や言い回しが面白いからではなくて、相手の内面が見える時です。
だから、新しさを狙った奇をてらった音楽よりも、その人がにじみ出てる音楽が好きです。


確かに、うわーすげーこんなこと誰もやってないよー!ってなる興奮も分かります。
それをひたすら目指すのも、いいかもしれません。
でもそれと、例えばエイトビートを極めるのと、比較したって意味がない。
優劣で考えるべきじゃないと思うんです。

どんな表現形態でも、そこからその人の何かがにじみ出ていればいいんです。
自分に合った表現を、自分で選べばいい。
ある人にとっては、それが前衛音楽かもしれないし、ジャズかもしれないし、ロックかもしれないし、スタンダードのカバーかもしれない。
自分が入り込みやすいものを、選べばいいんだと思います。
その好みは、人それぞれです。

結果、それが斬新な音楽であっても、どこかで聞いたサウンドであっても、それは表面上だけのこと。
心を打つのは、その奥にある、その人の内面というか感情というか、その人自身が聞こえてくるかどうか。
そして、それが聞こえてくる音楽は、ジャンルや好みを飛び越える力を持つんじゃないか。
と、僕は考えます。


話を戻します。
とにかく、モダン(コンテンポラリーって言った方がいいかもしれません)ジャズは boring < interesting というマインドが基調となってるようで、僕はそれが苦手なんです。
大学にいるとき、しょっちゅう「boring」という言葉を聞きました。
その度に、不快になりました。
不快になる音楽は、やりたくない。
僕は、ジャズのそういう部分が好きじゃないので、無理だなと思ったんです。


そういえば、ニューオリンズで聞いた話を思い出しました。
ニューオリンズでは、トラッド・ジャズと呼ばれる古いスタイルのジャズが盛んです。
モダン・ジャズの人は、トラッドを笑います。
「あいつら、ずーっと同じコードを演奏してて、何も考えてないバカなんじゃないの」と。
トラッド・ジャズの人は、モダンを笑います。
「あいつら、同じコードが続くと何にもできなくて、中身のないバカなんじゃないの」と。


どんなジャンル・表現形態に対しても、オープンに接することができるように、いたいです。

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