2015年4月26日日曜日

音楽学校はいらない

高校出て音楽学校に行ったミュージシャンを、どうにも信用できません。
クラシックの人が音大に行くのじゃなくて、ジャズやポピュラー音楽の場合です。
ジャズでもボサノバでもファンクでも、もちろんロックでも、ポピュラー音楽をやるのに人から習うのでは、いい演奏はできないと、僕は思うんです。

ポピュラー音楽は譜面を再現するものではありません。
パターンとか定型フレーズとか、そういう細かいパーツを其々が持ち寄って、その場で混ぜ合わせて作るものです。
なので、パーツ自体に血が通ってなければ、全体としても感動は生まれません。
学校でどれだけ勉強してパーツのストックを増やしても、それだけでは心踊るポピュラー音楽はできないと思うんです。

お決まりの定型フレーズがあったとします。
そのフレーズは、過去にたくさんの偉大なミュージシャンによって演奏されてきたものです。
その中で、自分が特に感動する演奏が、あったはずです。
その演奏のどこが他と違うのか。
それは、本当に些細な違いで、どれだけ分析しても分からないようなことです。
で、その演奏から受けた感動を大事にしながら、自分でも演奏します。
フレージング自体は、決して同じにはならないし、そこを追求する必要はありません。
でも、感動した分析不能なエッセンスは、自分の演奏の中にも残るんです。
それが、フレーズに血が通うということだと思います。 

それは習ってできるものではありません。
たくさん音楽を聞いて感動した経験の積み重ねでしか獲得できません。

で、まだ高校を出たくらいの年齢で、本当に音楽に感動しまくって好きで好きで仕方がなくて、頭の中にいっぱい音楽が鳴ってて、それを楽器でうまく表現できなくて悩んでもどかしくて、その上で表現に必要な技術を身につけたくて音楽学校に行く、というケースが、多いはずがありません。

学校で身につくのは、技術だけです。
その結果、学校を出て技術はあるけどそれだけ、というミュージシャンの数が増えていくことになる。
そういう人達によって演奏される音楽が増えていくことになる。
日本の音楽業界はもともとそういう傾向があるので、さらに拍車がかかる。
町で耳にする音楽がどんどん薄くなる。
という循環。

昔から思ってたことです。
でも最近、音楽学校出身の若いミュージシャンに出会うことが昔より多い気がして、その度に彼らに対して同じ感想を持つんです。
例えば洗足学園ジャズ科も盛況みたいだし、実際はわかんないけど他にも音楽学校は増えてるように感じます。
それらの学校が何を教えてるかは知りません。
でも、多くの卒業生から、一様に音楽的感動の痕跡が感じられない、ということは、どうなんでしょう。
そんな音楽教育に意味があるのでしょうか。
楽器を扱える人口は増えても、音楽的な豊かさの底上げには繋がらない。
そもそも、年端もいかない少年少女を特殊な環境に囲い込んで、実社会で無用の技術だけ教えこんで、誰が幸せになるんだろう。


年配のミュージシャンがよく、ジャズは習うもんじゃない、なんて言います。
僕はジャズミュージシャンではありませんが、思いは同じでしょう。

聴いて聴いて聴いて、泣いて泣いて。
音楽にはそれも必要だと、僕は思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿