意味のないことには意味がないのか

久しぶりに友達と、深夜に歩いた。
西荻窪から阿佐ヶ谷まで、1時間以上かかったかな。
そういうときは時間の感覚から外れているので、覚えていないけれども。

まだ終電もあるのになんで歩くのかと考えると、電車の方が早いし楽だし、徒歩の利点はひとつもない。

ただ意味のないことがしたいんです。
なんの得もならない、目的のない、無駄なことがしたい。
そういう時の、なんとなく自由な気分が好きなんです。


小学校の、たぶん5・6年生のとき、みんなで『スタンド・バイ・ミー 』を見ました。
映画の中で、少年たちが川の上の線路を渡るシーンがあります。
最後のひとりが渡りきる直前に、列車がやって来る。
必死に走る少年の後ろから列車が迫ります。
岸にたどり着くギリギリ手前で、少年は川に飛び込んで助かるんだったと、記憶しています。


自分たちでもやりたくなって、少し離れた大きな川まで行きました。
ウッちゃんとノリと、ブッちゃんもいたかもしれない。
橋になった線路の上を、みんなで渡りました。
映画と違い、上りと下りと二本のレールがあるので、同時に電車が来る確率は、きっと高くはなかったはず。
その代わり、下の川まではものすごく距離があって、飛び降りるのはちょっと難しい。

電車は来なかった。
1時間に数本しか走ってない路線で、しばらく様子を見て安全そうなタイミングを狙ったので、大丈夫に決まってる。
でも、ドキドキしたな。
何も起こらなかったのに、冒険の記憶として今でも覚えてるくらいに。

意味なんてなかったし、何か学んだわけでもない。
大笑いしたりもなかった。
楽しかったー!というのとも、違う。

中学に入ってから、同じ仲間うちで「不毛」という言葉が流行りました。
いかに意味のない「不毛」なことをするか。
どんなことをしたかは、ぜんぜん覚えてない。
でも、とりたてて面白い遊びをしなくても、スタンドバイミーごっこ〜「不毛」期のことはなぜか特別な思い出です。

友達って、無意味なことに価値を与えてくれる。
一人じゃ線路を渡らなかったろうし、夜中に1時間も歩かないよ。

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