2017年1月19日木曜日

急な訃報

朝ネットを開くと、知人の訃報がとどいていた。
突然のことでびっくりした。
近しかった人に、すぐに電話をかけた。

死因は肝硬変らしい。
まわりも、気づいていなかったそうだ。
本人は知っていたのか。
家族は知っていたのか。
わからない。

僕の演奏をたまたま聞いて、よろこんでくれて、そこから付き合いが始まった人。
よくライブにも足を運んでくれた。
いいね〜、って、言ってくれた。
いつも心から。
彼のクラリネットはいいんだよ〜、って話す声が聞こえた。

お酒が好きな人だった。
ゴールデン街に連れて行ってくれた。
最後に会ったのは年末、新宿駅のホームで、最近飲みすぎてて、って言ってた。
フラフラしてた。

そこそこの歳だったけど、まだ死ぬには若すぎる。
あんなに元気そうだったのに。
とにかく急なことで、ショックで、そのあとからは、もっとたくさん会っておけばよかった、という気持ちが湧いてきます。
後悔、というのとはちがう、未整理で悲しい気持ち。

いや待てよ、俺はほんとうに悲しいんだろうか。
この気持ちは、相手があの人だからなのか。
誰かが死んだから悲しい、という、反射的で自動的で一般的な、ある意味お約束な感情じゃないのか。
気持ちを切り替えてみたら、すぐこの悲しみは去ってしまって、いつも通りの一日を過ごせるんじゃないか。
悲しいフリをしてる、俺は偽善者なんじゃないか。
と疑ってみても、あの人の顔や声が浮かんできて、そうすると心が乱れる。

たいしたことじゃない。
みんな死ぬんだから。
急で心の準備がなかったから、おどろいているだけ。
って、いくら考えてみても。

自分はあと何年生きるのか。
20年?30年?
もしあと50年生きたとしても、そのころには体にガタがきてるだろうし、元気で好きに過ごしてはいられないだろう。
意外と時間は短い。

こんなこと、いつもは考えないのに。
誰かが死んだときだけ、急に人生に想いをはせてみて、しんみりした気持ちにひたって、なんて都合のいいことか。
それにしてもこの脱力感は、なんだ。
どうして涙が出そうになるのか。

歳をとるにつれ、死に出会うことは増えるだろう。
長生きすれば、友達の死にも立ち会うだろう。
そのたびに、こういう気持ちになるのかな。
それとも、慣れるものなのかな。
例えば僕の知ってるあの人は、年齢的に、周りの死にもたくさん出会ってきたはず。
それって、どんな気持ちなんだろう。
あるいはあの人は、健康的な生活とはほど遠いし、もし若く死んだとしても、驚かないかもしれない。

考えが、散り散りになって、まとまらない。
だから、今日はいちにち、何もしないことにした。
いい映画を見にいって、いい音楽を聞きにいって、人と会おう。
そんな日があってもいいんじゃない?
あの人はそう言うだろう。


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