「上手い」と言われたらおしまいだ

「上手い」って言われるようになったら、ミュージシャンとしておしまいです。

一般の、というか、楽器や音楽にそこまでなじみのないお客さんから言われるのは、いいんです。
その場合は、「よかった」と同じような意味で、単純に感動を表す言葉として「上手い」って言うんでしょうから。

悲惨なのは、ミュージシャンから「上手い」って言われること。
「上手い」あるいは場合によっては「すごい」って、テクニックを評価する言葉です。
その人の演奏に接してテクニックがいちばん印象に残るって、もうそれは僕の分類では「音楽」ではありません。
楽器を使った曲芸をやってるってこと。
すげー!とは思うかもしれないけど、心には響かない。

そういうミュージシャン、けっこういるんですよ。
「ああ、かれは上手いよね」
「あの人メチャクチャ上手いよ」
みたいに言われちゃう人。

ほんとうにいいミュージシャンに対しては、
「あの人いいよね」
「素晴らしいミュージシャン」
「最高!」
とか、抽象的な表現が使われるはずです。

「俺はこの楽器については日本でいちばん上手い」って自分から言う人にも、会ったことあります。
かわいそう。
だって、彼は「いちばん上手い」ってことを誇らしげに言ってて、でももっと上手い人がいる可能性は、ゼロではない。
仮にいちばん上手いとしても、いずれもっと上手い人は出てきます。
陸上競技の記録だってどんどん更新されているように、楽器のテクニックも、100年前と比べたら格段にみんな上手くなってるんだから。

もし彼より上手い人が現れたらどうするのか。
こんどは、有名な人と演奏したとか、いくら稼いでるとかに頼ることになるでしょう。
音楽やってて数値で表せるのって、そのくらいだから。
そういうことばっかり喋るミュージシャンも、じっさいかなり多いですし。

そもそも何を根拠に上手い、って言うのか。
手が早く動くから?
楽器の音色?
リズムのバリエーション?
「上手い」という基準自体が、あいまいなものです。
ちなみに、その人は確かに上手かったけど、ぜんぜん感動はしませんでした。


もちろんこれは、僕の価値観の上で、ですけどね。
音楽は表現活動であって、心に触れたり、思いを伝えたりするコミニュケーション・ツールだ、という前提でのこと。
同じ「音楽」といっても、テクニックに重きを置いているミュージシャンもたくさんいます。
いかに高度な技術的なやり取りができるか、ということに快感を見いだし、お客さんもそれを楽しむという世界も、あることは知っています。
ただそれは、僕が「音楽」として聞いてきたものとは、あまりにも違いすぎるんです。

僕の考える「音楽」って、数値化も順位づけもできないものです。
どれだけ早く指が動くか、リズムや音程が正確か、音域が広いか、ということは、もちろんそうしたテクニックがあれば便利ではあるけど、でも突き詰めれれば、不要なものでもあるんです。
音楽に心が動かされたときって、この人上手いなー!なんてぜったいに思わない。
少なくとも僕はそう思ったことはいままで一度もありません。


僕より上手いミュージシャンはいっぱいいます。
その中には、あきれるくらいに中身のない演奏しかできない人もいます。
僕より上手くないミュージシャンも、いっぱいいます。
その中には、涙が止まらないほど感動的な演奏をする人もいます。

音楽って、そういうものです。


「上手い」っていうのは、「つまんない」「中身がない」と言われるのと同じこと。
そんなミュージシャンには、なりたくありません。


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