2017年5月21日日曜日

映画って、ストーリーだけじゃないでしょ。

ネットで映画の感想を探すと、たいていストーリーのことしか書いてない。
映画感想ブログなんつって、あらすじばっかりが長々と書いてある。
小学生の読書感想文かって。

ストーリーの良し悪しだけなら、映画じゃなくたっていい。
テレビだって小説だってマンガだっていいじゃん。
それ以外のいろんな要素が絡み合って、映画でしか味わえないものがあって、だから僕は映画が好きなんだけど、どうやら多くの人はストーリーにしか興味がないみたいです。
どうせ話がかみ合うわけないから、誰かに「映画が好き」と言われても、「俺も好き!」なんて返すことはせずに、慎重に距離をはかることにしています。
みんな大好きな”衝撃のラスト!”とか、まったく興味ないしね。


いままでの映画で心に残ってるのは、ストーリーじゃなくて、特定のワン・シーンであることがほとんどです。
セリフがない、たとえば風景が映るだけであっても、特別な情感が残るシーン。
いまパッと思いつくのは『シェルタリング・スカイ』の砂漠で抱き合う二人を空から撮るシーン、『マンハッタン』の夜明けの橋の下、『存在の耐えられない軽さ』の白く消えて行くラスト、『レイジング・ブル』の最後の、画面にすら映っていないシャドー・ボクシング、『バイバイ・モンキー』の冒頭のマストロヤンニの泣き顔のアップ。
どれもセリフのないシーンです。
『バイバイ・モンキー』なんて、ストーリーすら覚えてないもん。

そういえば、顔のアップで思い出すのは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の、デ・ニーロの顔を映して終わるラスト。
あの表情は、なんなのか。
説明できないからこそ、頭を超えて感情に刻まれるんですよね。
あと、きのう見た『カフェソサエティ』のラストのジェシ・アイゼンバーグの顔のアップも素晴らしかった。
表情というかもはや目と顔の緊張感だけで、いろんなものが伝わってくるんだもん。
いい役者って、ただセリフを覚えてそれっぽく言うだけじゃなくて、言葉やストーリーで説明できないものを表現することができるんですよね。
たとえば『冷たい熱帯魚』なんて、でんでんと吹越満じゃなかったら、つまんない映画だったと思うし。
ストーリー以外のそういう面白さが分からないと、映画の魅力って半減するんじゃないかな。


映画によっては、ストーリーを追うだけじゃ面白さの分からないものもあります。
たとえば『コットンクラブ』のラスト。
非現実的なシーンだと分からずに、2人で逃げてハッピーエンド、っていう風に解釈しちゃって、安易な終わりかただな、なんて思う羽目になる。
もっと有名な映画だと『インターステラー』もそう。
あのラストも、非現実だと解釈できるようになってる。
しかも、誰かの空想、などときっちり説明できない、あいまいなもの。
その、あいまいなのが、いいんじゃん。

映画じゃなくても、たとえばマンガでも、有名な『あしたのジョー』のラストのコマ。
ジョーが死んだのかどうかなんて考えてもちっとも面白くない。
あの、あいまいな、言い切らない、説明しないのが良いんじゃないですか。
『デビルマン』もそう。
解釈不能なラストが、名作度を高めてる。
ただ、このマンガの場合、作者自身が後に書き足して陳腐な説明を加えて駄作にしちゃったという、おかしなケースですが。
『デビルマン』は、書き足しのない「完全復刻版」を読まないとダメですよ!


言葉で説明できない感動っていう、映画ならではの魅力は、少なくともネット上の「映画ファン」の人たちには、アピールしないみたいです。
もったいないな、と思います。
映画ってもっと、人生を変えるくらいに面白いのに。
僕は『父の祈り』の終盤のダニエル・デイ・ルイスの表情に打たれて、その場で大学辞めて、本当に人生変わりましたからね。
そんな風にして映画に出会えた僕は、ストーリー重視の「映画ファン」よりもずっとラッキーだと、思ってます。

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