非人間的な国で音楽をやる絶望感

公園でキャッチボールや素振りが禁止されてることを知った。
経緯は知らないけれど、誰かの苦情からそうなっただんだろう。
楽器が練習できる公園も、どんどん減ってきている。
じゃあ公園て、何をするところなんだろうか。
何をするにも許可が必要なんて、とても嫌な社会だと思う。

素振りをしていて通行人にバットが当たったら危険だ、と言う。それはその通りで、誰も反論はできない。でも、だから禁止、っていうのは、間違ってる。
危ないな、と思ったら、声をかければいい。指摘されてはじめて、ああそうかこれを危険と思う人もいるんだ、って気づくかもしれない。そうしたら、同じような場所では素振りしなくなるだろう。
そうやって、自分で考えて判断できるようになれば、普段の他人とのコミニュケーションだって円滑になる。
でも、禁止されてるからやらない、ってことだと、自分で考えることはしなくなる。逆に禁止されてなければ何やってもいいじゃん、って発想にだってなりかねない。


川崎のしんゆり映画祭で『主戦場』の上映が取りやめになったのも、同じ発想だろう。
問題が起きないこと、苦情が起きないことが最優先されて、「安全」なものだけが棚に並ぶ。でも、「安全」なものにはなんの刺激も創造性もない。考えたり感情が揺さぶれれることがなければただの時間潰しでしかないわけで、そんな映画祭に何の価値もない。
その前にはあいちトリエンナーレや映画『宮本から君へ』の助成金取り消し事件もあった。トリエンナーレや『宮本〜』は、政治的な圧力がかかったのが本当だろうけど、建前としては、トラブルが可能性があるから、ということだった。
それが、正当な理由として通用する社会になってしまっている。

何も考えないでいることが当たり前。
日本はいまや全体主義で非人間的な後進国であって、素振りやキャッチボールをしてる人が誰もいない公園、という不自然で人工的な風景は、そんな日本の不健全さを象徴してる。
たとえば北朝鮮も、表面的にはいい顔を見せようといろんなアホみたいな工作をしてるけどそれはつっこみどころ満載で、日本は海外から見たら、たぶん北朝鮮と変わらないんだろうな。
こんな狂った国で音楽をやってるって、どういうことなんだろうか。
亡命でもしたい気分になる。
いい音楽でも聴こう。




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