コーネリアスよりブエナビスタが好き

オリンピックが盛り上がってるみたいですが、見てません。
過去のオリンピックも一度も見たことないし、そもそもスポーツ観戦に興味を持ったことがないんですよね。
たまにお店や人の家なんかで見る機会があればそれなりに面白いと思うけど、自分で選んで見ることはないです。って、もう25年くらい家にテレビがないから、見ること自体できないんですけどね。
小さいころも、テレビでスポーツを見た記憶はほとんどありません。いつもテレビが流れてるような家庭じゃなかったし、僕自身は、小学校の終わりから映画ばっかり見てたんで。
オリンピック関係者によると、スポーツを見て救われたことのない日本人はいないそうなので、かなり特殊なんでしょう。

それでも今回は、朝起きると連日オリンピック関連のニュースをチェックしてしまいます。誰が勝った、とかじゃなくって、どんな「不祥事」や「問題」が発生したか、ということを。本当に、ここまでメチャクチャな事件が毎日起こるイベントって、前代未聞ですからね。あまりにも想像を超えた内容で、あきれるというか笑うしかないレベルのものが、連日。

中でもやはり小山田圭吾の件。
虐待の記事は、ずいぶん昔に目にしたことがあります。酷い内容に怒りが湧いたけど、正直、忘れていました。だってファンでもないし、フリッパーズギターだって聴いてなかったくらいだし。
コーネリアスって、エッジな音楽をやって海外で評価が高い人、みたいなイメージを勝手に持っていたんですが、Eテレの子供番組の音楽を長く担当したりしてたんですね。
その番組のサントラを聴いてみたら、すごく良いじゃないですか。それであらためてアルバムも聴き直してみたら、これがまた素晴らしい。実験的なことをやるミュージシャンは多いけど、コーネリアスの場合はどんなに実験をしてもポップさを保っているのがすごい。ずっと昔にタワレコ新宿店の視聴機で『SENSUOUS』を聴いたときの衝撃がよみがえりました。
素晴らしいミュージシャンだと思います。

虐待の記事をあらためて読んで、やっぱり胸糞悪くなりました。でも僕の場合、コーネリアスの音楽を聴いて素晴らしいと思う感覚は、変わらない。
なんでだろう。
ファンじゃないから覚えてる曲もないし、特に何の思い入れもないし、聴いてて本人の顔が浮かぶこともないし、普通に聴けて、チェックしてなかった最近のアルバムも続けて聴いてしまったくらいです。いわゆる歌モノじゃなくってインストがメインというのも関係あるのかな。
僕はわりと、音楽と本人はイコール、と考えるタイプだと思うんだけど、感覚としてはそう簡単に整理できないものなのかもしれません。

これが、自分の好きなミュージシャンだったら、どうだろう。
たとえば、ライ・クーダーが実はKKKだったとしたら。
ロニー・レインがペドフィリアだったとしたら。
うーん、わからないけど、聴いて素晴らしいと思うことは変わらなくても、とても複雑な気持ちになるんじゃないかな。だって、彼らの音楽には、生き方みたいなものが反映されてると思うから。

つまり、そこが違うのかもしれません。
コーネリアスの音楽は素晴らしいけど、あんまり作者の顔を感じない。初期はポップカルチャーの要素もあったと思うけどそれも今はなくって、いい意味でも悪い意味でも、音楽的な要素しかない。
でも僕はたぶん、音楽の内容以外の要素にもたくさん影響されてやってきたんです。
最近『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を聴きなおしました。このアルバムって、音楽的には別になにも新しくもすごくもない。スタンダードを普通に演奏してるだけなんですよね。
でも、ひとつひとつの音から、音符以外のことがたくさん聴こえてくる。それは参加ミュージシャンたちの人柄や人生や聴いてきた音楽の歴史とかであって、音楽的に分析できるものじゃない。まさに「マジック」と呼ばれるようなことが、詰まっている。
ほんとにいつ聴いても最高なんだけど、これってライ・クーダーの音楽愛の産物なんですよね。ライのギターが、すごく丁寧に老ミュージシャン達の音に寄り添っているのがまた感動的です。

何が書きたいのかわからなくなってきてしまいました。
だって、『ブエナビスタ〜』の曲が頭に浮かんできて、そうするともうどうでもよくなってしまうんです。大袈裟じゃなくって、そのくらい、思い出すだけで幸せになれるくらい、素敵なんですよ。
スポーツを見て救われる人も、いるのかもしれません。
でも僕は、いろんな音楽や映画にたくさん救われてきたし、それらが排斥されてる状況でオリンピックを楽しむことは、やっぱできそうにないなー。





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