ケガして思う

自転車で転んで、ケガをしました。
顔の右側をけっこう広範囲に擦りむいて、口の中も切ってしまって、しばらくクラリネットが吹けませんでした。
もう傷は塞がったんですが、首も打ったらしくて、どうやらその影響で左手の親指と人差し指に痺れが残っています。
2〜3ヶ月で治るだろうと言われました。
少しづつ治ってきてる気もするし、動かないわけじゃないから、指先に感覚がないことに慣れれば、きっと普通に演奏もできるはず。
とはいえ、思いましたよ。
クラリネットが吹けなくなったらどうしよう、って。

リアルな危機じゃないし、クラリネットが吹けなくなったら別のことすればいいやと思うし、なんなら優秀なドラマーだったのにケガで叩けなくなってそれから世界的なシンガーソングライターになったロバート・ワイアットのことを想像してみたりして、だから落ち込んだりってことはなかったんですが、やっぱり、喪失感とでもいうような何とも言えない気持ちになりました。
ずっとクラリネットをやってきて、音色を獲得して、自分自身と直結した表現ができるようになりました。そう思えるようになったのは、ここ数年のことです。時間をかけて、いい演奏ができるようになったのを、失うのはもったいないなーと思ったんです。
そう、自分で自分の演奏を、なくなったらもったいない、と思ったんですよね。
もしだれにも見向きもされなかったとしても、自分で自分の演奏が好きなら、それってわりと幸せなのかもしれない。
そう思えてよかった。
そして、もっとうまく吹きたいなと思ってまた練習をしています。


もう1年以上も、ほとんど人と演奏しない生活を送っています。練習はしてるけど、上達もしていないでしょう。それでもやっぱり自分の演奏が好きだと思えるし、致命的に衰えることはきっともうなさそうです。
でも、ふと想像します。
もしいま自分がハタチくらいだったとしたら、どうだろう。
19歳で家を出て、高円寺に住みました。毎日いろんな場所に行って、新しい人と出会って、演奏したり演奏を見たり聞いたりして刺激を受けて、音楽にのめりこんでいきました。冗談じゃなくて未来は無限に感じられたし、付き合う人や周りの景色は毎日どんどん変化していきました。いま僕がケガしても楽器を続けようと思えるのは、才能や努力よりもそうした若い頃の体験のおかげに間違いありません。
でもそれが、全部できないかもしれないなんて。
気軽に人と会えない状況で、ライブどころかバンドを組むこともきっと難しい。楽器の練習だって、まだ仲間もいないうちに毎日ひたすら孤独に続けていくのは、たぶんけっこうキツい。未来が閉ざされたような気持ちになってしまいそうです。
なんて恐ろしいことだろう。

今、そういう若者は、きっといる。
そのことを想像すると、落ち込みます。
直接の知り合いにはいないし、仮にいたとしても、何かできるんだろうか。自分の音楽だってままならないのに。わからない。本当に。わからない時は演奏すればよかったのが、今ではそうもいかない。

うーん、しかし明るいニュースはないもんか。
少なくともオリンピックが通り過ぎるまでは、どうにも明るくなんてなれなそうで困ってしまうな。
とりあえず痺れが治って、またストレスなく普通に楽器が吹けるようになりたい。
体は大事にしよう。
と思った、6月でした。






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