みんなすごい

久しぶりにカセット・コンロスのライブを見た。
自由で音楽的で、とてもよかった。
ライブ後、クラリネット担当のアンディさんと話した。
僕はアンディさんみたいには吹けないしすごいなーと思ってることを伝えると、お互い様だよ、って言われた。
それはたぶん本当なんだけど、でも僕はアンディさんみたいな演奏はできないわけで、自分を優れた演奏家とも思っていないから、なんだかむずがゆい気がした。
of Tropique の曲のことも、俺にはああいうのはできないよ、って言いながら誉めてくれる。音楽的に何もすごいことはやっていないんだけどなー、そうか、そう見えるのか。

すごいな、って思うのって、2つの尺度があるんだろう。
ひとつは、自分が物理的にできないことを、他の人が実現している場合。
音楽でいえば、例えばものすごい高速フレーズを演奏すれば、すごいな、ってなる。
スポーツは数字に出るからわかりやすくて、単純に記録を更新すればそれはすごいことだ。
勉強で学年一番になるのも、すごいことだろう。
そういうのは、上下というか縦の価値観だから、わかりやすい。

もうひとつの尺度は、人と違う、ということ。
違うから、同じようにはできないから、すごい、と思う。
アンディさんの演奏スタイルは、普通のクラリネット奏者とは違う。個性的だ。
ああいう風に吹けたら楽しいだろうな、と思うけれど、自分には無理だともわかる。
他のクラリネット奏者に対しては、そうは思わない。練習すればできるから。
いや、それは僕が実際にそうできるかどうかというんじゃなくって、誰でも一定の練習をつめば少なくとも近い演奏はできるということで、要は精度や速度、縦の価値観の話。スポーツの例で言えば、タイムは遅くても同じゴールには着ける、打率では及ばなくてもたまにはホームランも打てる、みたいな。
でもアンディさんは、最初からコースを外れてるから、同じゴールにすら行かない。バットの代わりに日本刀持ってたりするようなもので、なんだかわかんないけどすごい、という感じ。

この、二つ目の尺度を考えると、自分が人に誉められるのが理解できる。
クラリネットのスタイルも、個性的ということは間違いない。良し悪しは別として、誰も僕のような演奏はできないだろう。
of Tropique の音楽も、他と比べられないものだ。
もっと言えば、寄席に出たり、専門外の楽器を演奏してみたり、たまに文章を書いたり写真を撮ったりするミュージシャンは多くはない。少なくともクラリネット奏者としては特異だ。
誰かと比べられないから誉められてもそこまでピンと来ないんだけど、逆に、比較対象がなければ驕りも嫉妬もないわけで、精神衛生上とてもいい。
音楽は数字で測れないものなんだから、みんなもっと好き勝手にやればいいのに。

きっとそれは音楽以外でも、日常生活でもそうで、自分を誰かと比較してる限り、心の平穏は得られないし、心から何かを楽しむこともできないだろう。
みんなが好き勝手やってみんなが違えば、みんながそれぞれすごいね、ってことになって、そういうのが健全なんじゃないだろうか。
嫉妬で足を引っ張りあうより、誉めあってる方が楽しいだろうと、思うんだよなー。

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