僕のヒーローはゼレンスキーじゃない

しばらくぶりのブログです。
長く書き続けてはいるけれど、ともすれば期間が空いてしまうのは、けっきょく書くっていうことは自分の中でそんなに特別に好きなわけじゃないんでしょう。
中学のとき、本を読んでも映画みたいに感動しないのはなんでだろう、と思って、読書好きな友達と同じ本を読んで感想を言い合う、っていうのをやってみたことがあります。選んだのはたぶん太宰治とかだったかな。で、お互い読み終わって近所のガストで話してみたら、そいつはもはや「読む」っていう行為自体が好きだということがわかったんです。紙をめくるとか文字を追うとか。僕にはその感覚がいっさいなくって。映画は見てるだけで好きだし、音楽も聴いてるだけで好きなんですけどね。
で、きっと書くことも、読書と同じなんじゃないかと思いました。

じゃあなんで書くのか。
それはきっと書きたいことがあるからで。だから書きたいことがないのに書くのは、まあたぶん書けるし実際ペーソス新聞があったころは毎月決まった字数を書いてたんですが、やっぱりあんまり好きじゃないのかもしれません。

じゃあなんでいま書いてるのか。
書きたい、というかいろいろ思うことが、最近はとても多いからです。
戦争もそうだけど、それにともなう日本の全体主義ぽい風潮とか、強化されていく差別的体質とか。日本のロシア料理店を敵視する人もいたりして、気が滅入ります。アメリカではマイケル・ムーアが、政治や報道が「プーチン=悪」と決めつけることの一面性を批判していたけれど、日本でそういうことを言うと黙殺されたりボコボコにされたりするんだろうなー。そりゃプーチンは悪いよ。でも戦争って、ヒーロー映画みたいな単純なものじゃない。勧善懲悪を現実の戦争に求めるなんてどうかしている。
安倍晋三や橋下徹は日本の核武装を進める好機と思ってるみたいだし、自民党の議員は、お国のために死ぬウクライナの人たちの勇気に感動、とか言ってるけど、そもそもなんでそんなに闘いたいんだろう。人が死ぬのを見るのが好きなんだろうか。間接的シリアルキラー体質なのか。本当に理解ができない。


あとは榊英雄の事件。監督という立場を利用して若い女性俳優をレイプしまくっていたという。少し前のアップリンクのパワハラ事件とかも立ち消えになった感があってほんとに映画業界クソだなと思ってたのが、今回は声をあげる人がでてきてそれを取り上げる人もいて、やっと少しは変わるのかもしれない。ということを、まわりの映画関係者と話して感じたりしました。
この事件で被害者として最初に声をあげたのは、石川優実さんだそうです。尊敬します。僕は会ったことないしそんなに知りません。でも、弱者を叩く日本社会の中で少数派の側から声あげるのはものすごい勇気のいることで、それだけで英雄と呼んでもいいと思うんです。
「モナリザ」っていう映画の中で、出所して落ちぶれた主人公を世話する友達が「あんたは俺のヒーローだったのに」ってやさしく言うセリフがとても好きで。ヒーローと呼べる存在がいる人生って、きっと幸せです。
だから、石川優実さんのこと知らないけど、彼女の一面だけをとらえて勝手にヒーロー扱いさせてもらっています。少なくとも、一面だけをあげつらってけなすより、ずっといい。
でもね、他者を攻撃する人を英雄扱いするのは、ぜったいに違う。ゼレンスキーの演説にスタンディングオベーションをするよう事前に指示するいまの政府は、間違ってるよ。


音楽のことをまったく書いてないですね。
of Tropique のアルバムがアメリカのElectric Cowbell Records からもうすぐ出ます。しかもレコードです。レコードでフルアルバム出せるののはとっても嬉しいです。
いまは、そのあとにリリース予定のシングル曲の制作をしてます。
こういうことも書き出したらキリないけど、音楽はずっとやってるから日常みたいなもので、わざわざ細かく書かなくてもいいかなーなんてね。

少しづつライブも戻ってきているので、ご興味ある方はそちらにお越しください。音を聞くと、伝わるんですよ。いやこれ本当に。そこには戦いもないしね。




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