怒りの感情って、おそろしい


また自転車で転びました。
夜に山手通りの歩道の自転車レーンをのんびり走ってたら突然、肩の辺りに衝撃があってよろけて転んで、何が起こったか分からず見回すと、猛スピードで走り去って行く自転車が見えました。
狭いレーンをあんなスピードで追い抜いてくなんて!ぶつかって転んだのに逃げやがってふざけんなこのやろう!と思ったけど、手足を打って痛くてそれどころじゃない。まあ歩道のレーンでスピード出してなかったおかげで大事はなさそうだし、少し休んでなんとかそのまま乗って帰りました。

何箇所かすりむいたり腫れたりしたけど、数日したら痛みもひいて楽器も普通に演奏できて、ノープロブレム!と言いたいのが困ったことに、怒りの気持が、じんわりと残るんですよね。
あのとき無理しても追いかけて横から蹴り入れてやりゃあよかった!そしたらあいつもタダじゃすまなかったろうにザマーミロ!なんて気持ちが、湧いてくる。
たしかにあんな運転、よくないと思います。しかもぶつかった相手が倒れたのにそのまま走り去るなんて。でも、いまさらどうしようもないし、怒って傷が早く治るわけじゃない。それどころか、ネガティブな感情にこっちの心がダメージを受けるだけです。
それに、もしかしたら彼にも事情があったのかもしれない。誰かの命に関わるようなものすごく緊急の事態だったりして、だとしたら止まりたくても止まれないよな・・・いやでもそれなら車道を走るだろ!なんていう風にして気持ちが落ち着かないのが、とても悔しい。

こないだ自分で転んだときは、もちろん怒りの気持ちはゼロでした。ケガも大変で楽器が吹けなくなることを想像するくらいだったけど、気持ちは落ち着いていたものです。それが今回は、大したことないのに、相手がいるってだけでこんなにもネガティブな気持ちが湧いてくる。これでもっと致命的なケガでもしてたら、どんな感情になったんだろう。
考えてみたら、事故で大怪我を負う人もいるわけだし、後遺症が残ったり生活に支障が出ることだって、あるんですよね。もし自分がそうなったら、仕方がないやとすぐに平常心に戻れるんだろうか。あるいは身近な誰かが、もし対人の事故でそれこそ死んでしまったりでもしたら、相手が心から後悔していたとしてもすんなりと許せるだろうか。


しばらく前から、怒る人がとても多くなったような気がしています。怒りをぶつける相手を誰もが常に探してるんじゃないかってくらいに。
コロナのおかげで幸せになったという人はきっと少なくて、生活にダメージを受けた人の方が多いと思います。そのダメージは、傷みたいにすぐ治るどころかずっと続いていて、そうすればネガティブな感情もだんだん蓄積されていく。溜まっていったらそれは、ささいなきっかけでオモテにあふれてしまうことだって、あるでしょう。ちょっとしたことで怒鳴ったり他人を攻撃したり。僕の知ってるお店は、営業時間や自粛要請を守っててもライブをやってるってだけで悪質な嫌がらせにあったけど、そんなの以前なら考えられないし、当人だって平常時にはやらなかったんじゃないか。
ネガティブな感情は、すぐに怒りに変わる。
僕だって、転んだ翌日の怒りが残ってる時にまた何かあったら、誰かに当たっていた可能性だってあるかもしれません。なんておそろしいことでしょう。
からだの傷よりも、きっと心のダメージの方が手当が難しい。
コロナを乗り切るには、やっぱり心の健康を優先しないといけないな、と思った出来事でした。




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