勘は鈍るけど

ここのところずっとof Tropiqueのレコーディングをしてました。
茨城のスタジオで3回に分けて録音して、その合間には準備やアレンジの詰めやらで、空いた時間をぜんぶ使ってようやくこなしていて、人と会う約束や、ライブの誘いすら断ってました。今月分のブログを書こうと思いつつもう10月最終日の夜、あと1時間で11月です。
ちょうど今日、最後の宅録を終えました。キーボードでシンコペーションしたリズムを刻むんですが、なんたって鍵盤自体ろくに弾けないから、何度も何度も録り直さなきゃいけない。しょっちゅう間違えて隣の鍵盤も弾いちゃったりして、けっこうマジで大変なんですよ。
今回はシンセ的なマシンも使ったし、リズムボックスを録音して編集したり、本当はもっと効率のいいやり方があるんだろうに、手探りの自己流だから、とにかく時間がかります。クラリネットの録音ならすぐ終わるのに!と思いつつ、ようやく終了です。

そんななかでも、数本はライブをやりました。そうすると悔しいことに、感覚が鈍ってるんですよ。いちおう練習はしてるから、極端に腕が落ちたってことはないはずですが、なんというかライブの「勘」みたいなものが、鈍ってる。
こればっかりは、どうしようもありません。だって、人と演奏する機会がガクンと減ってるんだから。
ああ悔しい。
でもやっぱり、人と演奏するのは最高に楽しいし、久しぶりの人が見に来てくれたりするともうこっちも感動してしまう。
そうして感動して演奏していてお客さんの心に届いてるのも分かって、でも自分の中では、なんか鈍ってる、という感覚があるんです。楽しいけど、以前はもっともっと微妙で繊細な音楽的なコミニュケーションができてたんじゃないか、とか思う瞬間もあって、なにが本当なのかもうよく分からない。
鈍ってるのか、それとも研ぎ澄まされてるのか。
いわゆる「いいライブ」の基準が、以前とは違ってしまっているのかもしれない。

実は、これからは演奏より制作だろう、と考えてるんだけど、じゃあ演奏家としての自分はどうなるんだろう。
だれと、どこで、どんな音楽を演奏するんだろう。
クラリネット奏者としてはやっぱりたぶんニューオリンズジャズなんだけど、それはコロナに関係なく日本ではほぼ絶滅寸前なわけだし、管楽器奏者としては普通にジャズの仲間に入った方がいいのか。でも、彼らのゴールはけっきょく有名人のバックバンドだし、それは嫌だな。じゃあ腰をすえて南米のスタイルでも研究するかというと、そうもならないんですよね、まだ今のところは。

と、ふと立ち止まって考えてみても、なんにも分かりません。
わかんないけど、まだクラリネットは続けるでしょう。
ということは、自分はやっぱりクラリネット奏者なのかもしれない。
まあ、どうでもいいけど。



コメント