才能ってなんだろう

尊敬するミュージシャン、イグノランツの上村秀のセルフメイドDVDを見ました。
衝撃でした。
秀さんの音楽はよく知ってるから、内容については驚くことはありません。
弾き語りと、イグノランツのライブからの感動的な瞬間が収められてる。
なにが衝撃って、映像が、素晴らしい。
ほとんどは、秀さんが川辺での弾き語りを自撮りした映像なんですが、どのシーンも美しい。
画面のフレーミングが、素晴らしい。色調も、彩度を落としたり色々と変えていて美しくて、ため息が出ます。
本人に聞いたら、短時間の中で直感的にスマホをセットして勢いで1発録りしたそうです。そして、色調の補正は、スマホのアプリで自分でやった、と。

これが、むかしカメラやってたとか映像を勉強してる人だったりとか映画マニアだったり、っていうんなら分かります。いや、それにしたって、秀さんのセンスの良さは群を抜いてると思うけど。
爆音ロックバンドやってる兄ちゃんがスマホのしかも安い機種で自撮りしてここまでのアーチスティックな映像になるなんて。
いわゆる「普通」の人が撮ったもので、こんな構図になることなんて、絶対にありませんよ。
僕自身の経験でも、映画好きあるいはデザインが好きな人に写真を撮ってもらったらビックリするほど平凡でつまらない出来だったこと、何度もあったし。
これを、「才能」というんでしょう。
秀さんには、映像の才能が、間違いなくあります。

秀さんがもし、とても若い頃に映像の道に進んでいたら、世界的な映像を作る人間になっていたかもしれない。
でも、秀さんはギターを手にした。それは映像業界の損失かもしれないけど、秀さんは素晴らしい音楽を奏でて多くの人の人生を救ってきた。いやこれ大袈裟じゃなくってホントなんですよ。秀さんはそういう風に音楽をやってて、そういう人たちが聞きにきてて、周りにはいつも掛け値なしに幸福な空気があって、つまり僕の知る限り最も幸福な音楽活動をやってる人なんです。
僕だって、人前で演奏するときに、秀さんに聞かせて恥じない演奏をしよう、と何度思い浮かべてきたことか。
秀さんがギターを手にしてくれて、良かった。


才能って、なんだろう。
町ですれ違う中にも、天才的な音楽や映像の才能を持った人がいるかもしれない。
でもそれは、何かのきっかけでギターを手にしたりカメラを手にしたりすることがなければ、表には現れてこない。
特に日本では、表現活動をすることは歓迎されないから、普通に生活していたら音楽やったりカメラを回してみたりする機会はなかなかありません。
そして、仮にギターを手にとって才能があると思って周りからも絶賛されたとしても、続けることは日本ではとってもとっても難しい。金銭的なことじゃなくて、精神的に。だって、やめろやめろ、とう圧力がものすごいから。
そんな中で、どれだけの才能が、形にならずに埋もれていくことだろうか。
音楽や映像が好きで努力して踏ん張って続けても続けても、でも才能がない、っていう人だってたくさんいるのに。

僕もずっとクラリネットを吹いてきたけれど、自分に才能があるかどうかなんて分かりません。
そりゃあまあ評価してくれる人はいるし、さすがに誰にも見向きもされなかったらどうだったか分かりませんが、でも、才能あるかどうかなんて考えてたら、長く続けてはこれなかったはずです。
続けられるのは、やりたい、という気持ちしかありません。

やりたい、という気持ちと才能が一致したら、そんな幸せなことはないでしょう。
でも、そうなるとは限らない、というか、一致しないことのほうが、多いんじゃないだろうか。
才能って、なんだろう。


コロナの自粛期間に新しいことをはじめて、埋もれていた才能が開花する人も、きっといるでしょう。
そこで人生が変わることだって、あるかもしれない。
僕も、放置していたシンセを使って宅録をはじめています。
才能のことはもちろん考えないし、何かの展望があるのでもないけど、とりあえずやってみています。
秀さんも、映像撮ってみてくれないかな。
才能があることは、間違いないんだから。
それって、とっても素敵なことだから。



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