2017年6月26日月曜日

テレビなんて見てたらおしまいだ

昨日のライブで、怪我をしました。
ある曲で、スプーンを叩いたんですよ。
二本のスプーンを片手に持って、足や手に打ちつけてカチカチ音を出します。
横で大石みつのんさんが弾き語りでワーっと盛り上げるのに刺激されて、滅茶苦茶に叩きまくりました。
普通の叩き方じゃなくて、立ち上がってもう滅茶苦茶に。
おかげで盛り上がったけど、興奮して身体も叩いてしまったようで、演奏が終わったら手やら色んなところが痛い。
しばらくしてトイレで鏡を見ると、唇の端が赤黒く腫れている。
どうやら勢いで口を叩いてしまい、血豆になっています。

痛くはないんだけど、かなり目立ちます。
あさって写真撮影があるので、これはマズイ、と思って、朝イチで病院にいきました。
そして、薬が処方されるのを待つあいだ、テレビを眺めていたんです。


小林麻央という人が死んだそうです。
僕は普段テレビを見ないので、この人のことを全く知りませんでした。
名前は聞いたことある気がするし、どこかでテレビに映ってるのやら写真やらネットやらで目にしたことはあるかもしれないけれど、それを小林麻央、と認識したことはないので、知らない人と言っていいでしょう。
いろんな人のお悔やみのコメントが、映しだされます。
スタジオで、芸能人が集まって、コメントを言い合います。
夫の市川海老蔵の泣き顔が映ります。
たぶん5分くらい、それらを見ていて、ああテレビってなんて醜悪なんだろう、と怒りに似た感情がわいてきました。
ほぼすべてのコメントが、どこかで聞いたお決まりのフレーズです。
例えば、お悔やみ申し上げます、ってさ、いわゆる「公式コメント」みたいな、いちばん当たり障りのない言葉であって、好きな人の悲しみに本気で共感するときには、絶対に使わない。
まあね、芸能人なら、「公式コメント」を出さなくてはいけないんでしょう。
そして、コメントが紹介されてるのは故人に近い人たちだから、みんな悲しいんでしょう。
でもそれらがズラーっと次々に画面で紹介されると、その言葉にこめられていた悲しみが薄まってしまう。

あの、テロップ!
なんで、発言をぜんぶ文字で表示してしまうのか。
声や表情の中のたくさんの複雑なニュアンスが、あの無味乾燥な文字列のせいで漂白されて、誰の心もザワつかせることのない、人畜無害なただの「情報」に変えられてしまう。
さらに、大げさに神妙なナレーションが、みなさん神妙にしなくてはいけません、と圧力をかけてくる。
人が死んだら、それが誰であっても、一律に定められた「神妙」なリアクションを取らなくてはいけない。
普通に話したり笑ったり怒ったり、「神妙」から外れることは悪だ。
機械のように、一律同じ反応をしなくてはいけない。

そして、故人は清く美しい人で正しく努力して生きた最高に素晴らしい尊敬すべき人物だった、という、チープな物語が捏造される。
それを見た視聴者は、あんないい人が34才の若さで幼い子供を残して死んでしまってかわいそう、と言う。
キャッチーなエピソードだけあつめて作られた、「いいひと」。
それはもう「小林麻央」じゃない。
ステレオタイプの「いいひと」の定型キャラクターにすぎない。
小林麻央さんを人間扱いしていない。


だれか女性芸能人が、「天使みたいな人だった」とコメントしてました。
それが正直な声であるなら、「天使」っていう言葉は、故人を愛していた、っていう意味で使ってるはず。
それがテロップになって機械的に紹介されることで、「小林麻央=天使」という、ただのくだらない情報になってしまう。
その人は、そんなことを言いたかったはずじゃないのに。

そもそも、誰もに愛される、欠点のない、天使のような人間なんて、いるわけない。
どんな人にだって、良いところも悪いところもある。
その、いわば欠点も含めて受け入れるのが、愛するということです。
「いいひと」だから好き、っていうなら、「いいひと」にふさわしくない行動をしたら、もう好きじゃなくなるの?
彼女は永遠に「いいひと」でいなくてはならないの?

テレビ慣れしてない僕としては、そんなやり方が、すごく暴力的に思えてしまいます。
人間に対する冒涜です。
視聴率のための、いわば金儲けのための茶番に、おそらく素敵な人物だったであろう女性の死を、利用するなんて、まともな人間の所業ではない。
この番組作ってる人たちって、人を愛したことないんだろうな。
と、しか思えない。


テレビを見るとバカになる、なんて言うけれど、それどころじゃない。
あんなの見てたら人間終わると思います。
僕はテレビは見ません。
人間として誇りを持って生きたいから。

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